第58話

 もう二一時も過ぎ、外の人通りも少しずつ減少傾向。店内の電気は消え、点いているのは奥の一部。パーテーションで分けられた応対用のスペース。そこでノートパソコンを打ち込む社長のルノーと、ソファーに深く腰掛け、天井を見ながら魂が抜けたように呼吸だけするサロメ。


「調律の依頼、他にもきてないですか社長」 


「……そんなキャラだったっけ」


 ここ最近、妙に調律にやる気を出した少女に、ルノーは怪しんでいる。いいことなのだが、唐突すぎて必ず裏がある時の流れだ。それだけのことを、この子はやってきた。


「なにをおっしゃいますやら。皆さんにご迷惑をかけたぶん、頑張りたいと思うのは当然でしょう」


 感情が乗っていない声色で、お店への貢献を少女は語る。


 仕事を選び、調律先で勝手に飲食など数々の暴挙が今までにあるだけに、社長としてもどこか信用できない。しかし、実力があるゆえに、実質は店のエース調律師として働いてもらっている。今日だって二件対応し、ありがたいことに評価も最高のものをもらった。


「お前さんの分はちゃんと割り振ってあるだろうに。充分やってるよ」


 先の予定を見ても、びっしりと調律で埋まっている。パリ中から依頼が来ているのではないかと錯覚するほどだ。社長であるルノー自身も、その影響か最近は店にいることより、出張って調律依頼をこなさねばならないほどだ。


「でもほら、ここ行けますよね? 日曜日でも、お客さんが大丈夫であれば、ぜひ行かせてくださいませ」


 フランス人は休みのために生きている、という格言が嘘に聞こえるほどに、サロメは詰め込もうとしている。なにかを忘れるために働いているかのような、そんな印象も受ける。


 さすがにそこまでいくと、ルノーも怪しむしかなくなる。


「なんか裏がありそうなんだが」


 調律しなきゃ


「そんなものございません。今までの非礼も含めてお詫びしたいと、それだけでございます」


 調律しなきゃ


「でもほぼ毎日学校終わりに二件は充分だろう。これ以上増やしたら学校側にもなに言われるか」


 調律しなきゃ


「外泊の許可を取れば、深夜帯でも大丈夫です。お客さんがオッケーを出してくれるなら、ですけど」


 調律しなきゃ


「そこまでやったら色んなとこから目ぇ、つけられるって」


 調律しなきゃ


「やりたいことやっちゃいたいんですよ。そうでしょう? だってほら」




「———なんだから」



 その音は聞こえない。

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