第141話

 当然のごとく、それを凝視するサロメの目つきは鋭い。


「はぁ? あんたどっちの味方?」


「いや、うん、まぁ……」


 味方とか敵とか。そういう話ではないだろう。調律師とピアニストは信頼関係が大事だ。お互いに細かく言い合える必要がある。


 そのやりとりに、キョトンとした表情でプリシラは反論。


「え? むしろそっちのほうがよくない? おじさんの調律ってどこか古典的な音が多くて。若い子のほうが趣味が合う、っていうの?」


 チラッとルノーのほうをこっそり覗く。いや、それはそれでありなんだけどね。


 そう言われてしまうと、ランベールとしてもなにも言えない。目線が宙を舞う。


「……本人が望むならそれが一番かと……」


 奏でたい音。それを生み出せるのであれば、実績や経験など意味はない。結局のところ実力次第。それがワガママで大食らいの少女であっても。


「でしょ? キミの音は硬そうだ」


 プリシラは相変わらずニヤついたまま、その顔をランベールに近づけ煽る。


 息がかかる距離で、眉を寄せながらランベールもそれに応戦する。


「……かもしれませんね」


 たしかに柔らかな音よりも、芯が一本入ったような硬い音を自身も好む。それぞれ、他人には理解されなくても心地のいい音というものがある。この人とは合わないかもしれない。


 そうしてサロメは調律の下準備に早速入る。擦り合わせることは非常に大事で、整調や整音にも関わること。


「まず最初に聞きたいのは。『どんな作曲家にも合う調律』か、それとも『あなたに合わせた調律』か。どっち?」


 ピアノには二種類の調律がある。コンクールやレッスン室などのように、大多数の人間が平均して使いやすい音律にすること。癖のない平均律で整え、誰にでも扱いやすいピアノ。


 もうひとつは、リサイタルやコンサートなど、その人専用にカスタマイズされた調律を施すこと。鍵盤の重さや音律、人によっては『ないほうがいい』はずの唸りを好む場合も。そうなると他人の弾きやすさからは離れてしまう。だが、こちらには弱点がある。それは。


(……専用ともなると、その人の音を理解していないと、調律の呼吸が合わない。結局誰にとっても弾きにくいピアノになる可能性がある……)


 ランベールがそう懸念するように、例えば同じ曲であっても弾き手によって見せる顔が変わる。その人物なりに解釈した結果、激しくもなり、穏やかにもなる。そうなると、求める音というものは必然的に変わってくる。調律も変わる。


 だがそれは、調律師がその人物のピアノを聴き込み、自分なりに消化した結果の産物に過ぎない。こんな初対面で、癖も特徴もなにもかもわからない状態で、求める音を作ることなどできるのか? 専属の調律師というわけではないのだから。


(……だがあいつは——)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る