第247話
本来よりも少しじっくりと、時間にして三〇秒ほど長く演奏するブリジット。リディアとこうして時間を過ごすことがなにより心地いい。
すると唐突にレッスン室の扉が開く。
「あぁ、失礼。ペトロフのピアノはこちらかな? 今日は調律が入っているんだけど、いいよ、そのまま。聴かせてもらえるかい?」
二重の扉になっているため完全防音。入ってきたのは若い男性。キャリーケースを引いてそのまま入室。
そしてその後ろから入室してくるのはサロメ・トトゥ。ツカツカとカイルを追い越してピアノのもとへ。
「さっさと終わらせるんでしょうが。ブリジット、悪いわね。変なヤツがいるけど。気にしないで」
ポカン、としながらあたりを見回すブリジット。事態を把握できていない。
「サロメと……?」
どこかで見たことあるような……? そんな男性。会ったことはないけれど。どこかで。どこ? 学園の生徒ではない。少し年上。
「もしかしてこのピアノ使うの? ていうか直すの?」
癒しのひと時を邪魔される形になったリディアは、少しムッとしながら問いかける。眉を寄せて一歩、男のほうに近寄る。
わざとらしく思考しながらもカイルは肯定。
「そうだね。だけどその前に演奏を聴いてからにしようかな。いいよね、サロメさん?」
そうして判断を他人に任せる。自分だけがこの怒りを向けられるのは理不尽。いや、自分が聴きたいだけなんだけども。
呆れたように、壁沿いのイスにサロメは腰掛ける。
「好きにすればー? ブリジットがいいって言うなら」
なんかもう面倒になってきた。早く終わらせて帰りたい。どうだっていい。
「私は……大丈夫、だけど」
驚きはあるもののブリジットとしては特に問題はない。観客が二人増えてもやることは、弾くことは一緒。ショパン。まだ弾き足りないのもある。
なんとか試聴にこぎつけたことでカイルは上機嫌。なかなか自分がこういう立場に回ることも最近はない。
「ありがとう。じゃあそうだね。『マズルカ作品五六 第三番』をお願いしようかな」
さらにリクエスト。若い人達の演奏。単純に気になる。そのまま壁に寄りかかる。
(……この曲は)
ショパン『マズルカ作品五六 第三番』。言葉を飲み込んだサロメは、隣で壁に寄りかかった男をジロッと睨む。ハ短調のこの曲は、彼のマズルカの中でも特に人気のある曲。幻想的であり、神々しささえ感じ取れる名曲。
転調や移調を多く含み、肺結核に蝕まれたショパンの内的な儚い美しさを表現。ポーランドの民族舞踊をモチーフに作曲されたマズルカは、それぞれが三番もしくは四番のセット。そのうちのひとつ。
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