第113話

 携帯で調べてみるランベールだが、やはり他のメーカーと比べても情報は少ない。むしろ、どちらかというと調律師には追い討ちをかけるように絶望的な数字もちらほら。


「現在はアメリカの工場がメインですが……年間通しても数十台程度しか製造していない、ってよく依頼きましたね。相当限られるでしょこんな珍しいの」


 出荷も北米が中心。フランスで購入するのであれば、元々工場のあったエストニアから輸入か、奇跡的に中古が国内で出回るかしかない。


 とはいえ、ならば規模や知名度同様の音色なのか、というとそんなことはない。ルノーがピリッとした緊張感を加える。


「だがアメリカのピアノ専門誌では、ヤマハCFシリーズやニューヨーク製のスタインウェイと同格とされている、由緒のあるピアノだ。経験値はかなりもらえる」


 いいピアノであることは太鼓判を押す。コンクールなんかでは使われることはないが、全く引けを取らないメーカーであることも。


 そこまで言うのなら、一度見てみたい。エストニアを調律したことがある、というのが大きな財産になる可能性もあるとランベールは踏んだ。


「場所はどこですか? 何区? 個人宅に?」


 自分には手に余るものかもしれない、だがとりあえずやってから考える。ダメだったら割り振った社長の責任。よし、と気合を入れて立ち上がった。


 そこに、声を細めたルノーの詳細な場所の説明。


「いや、五区。それも音楽院——」


 デクレッシェンドして消えていく。言いづらいことでもあるかのように。


 そしてそれは正しくランベールに伝わった。口内をモゴモゴさせたかと思うと、先ほどの熱量は消え去る。


「……誰か違う人が——」


「向こうがキミを指名していてね。大丈夫、いつも通り。ピアノを整調して、調律して、整音してくるだけ」


 だけ。だけ。だけ。若干楽しそうなルノーの声が、背を丸めたランベールの耳に残響する。


「……そうなんですけど」


 けど。けど。けど。その自身の言葉も残響。唇が渇く。


 及び腰の理由は理解しているルノー。その気持ちは汲みたいところだが。


「まぁ、行きたくないってのはわかる。でも指名料もらっちゃったらやるしかないわな。なんたってあの場所はキミの——」


「行きますよ。行けばいいんでしょ。その代わり給料に上乗せしといてくださいよ。迷惑料で」


 一気にテンションが乱れたランベール。できれば行きたくはない場所。そういうのが人にはひとつくらいある。だが、自分は調律師。ピアノとピアニストが待っているのならば、どこへでも駆けつけると、最初に決めていた。決めていたが。


「……やっぱ行きたくな——」


「いってらっしゃい」


 揺らぐ意志を社長に後押しされ、ランベールは力なくアトリエを後にした。

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