第9話

まだ疑いの眼で見ているメラニーに対して、気にせずサロメは要求をし続ける。集中力を高めて意識をピアノへダイブさせる。


「あ、それと」


 体が溶けてピアノと一体になる感覚を突然打ち切り、サロメは紅茶を用意しようとするメラニーに向き直った。


「な、なにかしら」


「低音弦がひとつ、一本うなりになってる。いつも音がウニャウニャ言ってなかった?」


「!」


 その言葉を聞き、ランベールは目を見開いた。


「一本うなり? なぁに、それ?」


「まぁ要するに音が変なことになってるってこと」


 右手を波打ち、サロメはうなりを体で表現する。


「そんな気にしたことないわよ。他の鍵盤だってちょっとこもったりしてるのに」


「それもそっか。あとさー、おばあちゃんて、オー・シャンゼリゼ以外に弾く?」


「?」


 なんでそんなことを今? と、メラニーとランベールは疑問符が浮かんだ。


「いや、弾かないわ、ってか弾けないわ。新しい曲を覚えるつもりも今のところはないし」


「そっかそっか」


 伸びをして、サロメは体をほぐして、自分自身にスイッチを入れる。


「よっしゃやるよー!」


 普通、うなりはハンマーに接する三本ないし二本の弦を弾いたときに、周波数の違いから不協和音が生じ、そこで初めてうなっているとわかる。しかし一本うなりは、それが一本で起きてしまう、原因は色々あるがいわゆるイレギュラーな弦状態。だがそれは通常、調律の作業になって初めてわかるもの。


(グリッサンドのうちの一鍵をピンポイントで聞き分けたってのか? しかもお客との談笑中に? コイツ、どういう感覚してやがる……!)


 そんなランベールの心の葛藤を知ってか知らずか、


「まずは鍵盤調整から。バランスよろしく。あたしはフロントから。あ? 結構キレイね」


 鍵盤をひとつひとつ外し、固定しているピンをまず清掃していく。ランベールが査定中にグリッサンドしていた際、鍵盤の戻りがスムーズだったことから、そこまでキーピンの汚れがないことはわかっていたが、八八鍵全部清掃する手間が省けたことは僥倖であり、時間短縮にもなる。


「まいっか、んじゃ、やってくよー」


 次に鍵盤のガタツキを見る。鍵盤をひとつひとつ横にガタつかせて『遊び』をみる。ゼロだとギチギチとして弾きづらく、多すぎてもガタガタしてしまって弾きづらい。微妙な感覚なので、ひとつひとつピンに刺して揺らして検証するのだが、


(早い……!)


 サロメは左手の爪で全ての鍵盤をグリッサンドで弾くだけ。それだけで、ささっとフロントホールのクロスを、キープライヤーで調整していく。迷いがなく、なおかつ刺してランベールが確認するが、先程あれだけガタついていたのが嘘のように均一に弾きやすいガタツキに調整されている。

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