第93話
サッカー選手とスパイクを作る人が別なように、それぞれにはそれぞれにしかできない、活躍の場がある。サロメはピアノを弾くことはできない。少しはできるが、ピアニストのような技術はない。全く別物なのだ。
全てを受け止めたヴェロニカは、窓に近づき、外の景色を見る。四区という大都会。目に入るのは石造りの建物群。
「……もう四年になるのね」
目を閉じると、あっという間に過ぎた気がする。
「引退してから? たしかにそれくらいから名前を聞かなくなったかも」
だが、その名前をサロメが忘れることができないほどの、名ピアニスト。どこにいるのだろう、そんなことを考えたこともあった。実は目の前。
強く決心したヴェロニカは、全てを認める。
「軽微な失音楽症。大正解よ。家族には秘密にしてるけど、医者からも認定されたわ。軽微、ってところがなんとも言えないわね。知っているのは使用人のソフィーだけ」
ソフィーとは、コックコートの女性らしい。食事以外にも身の回りの世話など、全般をこなす。数人しかいない使用人の中でも、最もヴェロニカに近い人物。
ふーん、とサロメは近くのソファーに座った。一九世紀のスペイン製のソファー。店のソファーと比べても、高級だというのはよくわかる。いつも横になって寝ているから。
「よくバレずにこれたね。出かける時とか、使用人いっぱいいるのかと思ってた」
これに関しては、ヴェロニカは否定する。もうそんな時代ではない。
「貴族といっても、公式には存在しないし、一般人と何ら変わらないわ。ドレスだって着ないし、仮面舞踏会だって開かない」
未だに、貴族というとルイ一六世や、マリー・アントワネットのような人物がサロメは頭に浮かぶ。最近も、その名前をアトリエで聞くことがあったことも由来して。
「使用人がいる時点で一般人じゃないと思うけど。それよりもうピアノは弾かないの? 軽微ってのがどれだけなのかあたしにはわからないけど、そんなに違う?」
できるなら、ここであたしのために弾いてもらいたいところ。いや、そんなダメ元だから。いやいや、そんなそんな。
といったサロメの思考を、ヴェロニカは表情から読み取った。
「弾こうと思えば全然弾けるわ。正解した探偵さんには特別よ。注文は?」
もちろん、無理はしない程度に。しばらく弾いていないから、ミスっても文句言わないでね、と先に保険をかけておく。できればそこまで難しいのはこないでほしいという願望。
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