第124話
ふむ、と言葉を吟味しつつ、その中でラシッドが飛びついた部分。
「なら、私に合わせた、とは?」
まだ詳しい要望は伝えていない。今日はまだ触れてさえいなかったのだから。それなのに、先に適合とは?
なんとなく背後に立っているのも悪いかと思い、キョロキョロと見回したランベールは、代わりにソファーに腰掛ける。そして説明。
「……ネイガウス派。その正当な継承者、ミハイル・プレトニョフ。彼のエッセンスを取り込み、あんたなりに消化した、流派の基本ともいえる鍵盤から斜めの入る脱力打鍵の派生。レスポンスを普通よりも軽く仕上げてある」
この流派を語るにおいて、脱力というものは切っても切り離せない位置にある。『浮き上がる鍵盤に負ける』ほど力を抜き、固めた手のひらを支えとして弾く。動きは最小限で、無駄のない美しきレガート。そこに加えられた個々人の個性。さらに枝分かれして進化する。
自身の音を知っているがゆえの、気の利いた調整。たしかに、八八の鍵盤がより馴染む。ラシッドは深く息を吸い込んだ。
「……そこまで考えて調律を?」
「まだ整調段階だ。調律はこのあと。一度じゃ終わらないから数回。最高の音を求めるなら、半年以上は待て」
音の本質はこの先にある。今は土台を作っている最中。スケジュールを組みながら、ランベールはその内容も構築。
つまり何度も会える。ここで矛盾に気づいたラシッドは、そこを問いかける。
「ここに来るのは億劫だったんじゃなかったの?」
部屋に入った瞬間から、負のオーラを纏っていた。なんとなく理由もわかるけど。
だがそれを聞いたランベールは、その憶測を一蹴する。
「それと調律は別。相手が誰であっても、最後まで貫く。調律師はそういう生き物だ」
目の前にピアノがあれば、なんとかしたくなってしまうのが調律師。まさに今日はそれを体感している。その血が流れていることが誇り。
かつてと変わったところと、変わっていない真っ直ぐで真摯にピアノに向き合う姿勢。それらを認識し、ラシッドはここから先を相手に委ねる。
「……弾こうか。リクエストいいよ。特別だ」
あのラシッド・エルギンが。無料で。キミのためだけに。好きな曲を。奏でる。ファンからしたら垂涎モノだろう。
が、ファンではないのでランベールは適当に受け流す。
「ない。なんでもいい。好きにしてくれ」
早く終えて帰りたい。どうせまたすぐ来ることになるし。別れを惜しむ必要もない。
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