第61話
しかし、その考えにサロメは否定的だ。
「技術があれば、最高のピアノが調律できます」
〇・〇一ミリの差で違いが生まれる世界。技術がなければ説得力はない。
もうすでに技術の面で自分を超えてしまっているサロメに言われると、ルノーも少し心が動くが、だがそこはきっぱりと自分の意志を貫く。
「そりゃ、あるに越したことないけどね。技術は補助的なもの」
そのまま口を真一文字に結んだサロメを引き連れ、パリの街を闊歩する。さすがに土曜日のパリは混んでいる。人々とぶつかりそうになりながら歩くが、違和感も感じる。
(それにしても、途中にスイーツ店があってもなにも反応しないな)
あの、調律に行く目的は、その近所のスイーツを探るためという彼女が、全く目もくれずに目標を目指して歩くのみ。余裕のない表情。
「ピアノいじりたくてしょうがないって顔してるな」
ルノーにそう指摘されても、顔色ひとつ変えずにサロメは歩き続ける。
「きっと、この世には眠ってしまっているピアノが何百万台とあるはずなんです。それを起こしてあげなきゃカワイソウでしょう」
そのまま追い越す。が、目的地はわかっていないので、すぐにスピードダウンして、ルノーが先に行くのを促す。
その様子を見つつ、ルノーは困った顔をする。
(うーん、なんて嘘くさいやつ。いや、正しいはずなんだけどね)
こりゃ相当、この前の失敗の根が深いな、と予想しつつ、今日の予定を再確認。
「まぁ、今日は見学。ピアノはいじらない。調律は私」
「じゃあ帰ります。他に調律待ってるとこあるんで」
と、踵を返してサロメは行き先を変更する。たしか元々入っていた場所は、ここからそう遠くない。そのまま行こう。誰かもうすでに向かっているのだろうか? まぁ、いじれるならなんでもいい。
「待て待て。ピアノをいじるだけが調律じゃないってとこを知るいい機会だ」
焦るルノーに呼び止められ、渋々サロメはサントメシエ教会へ向かうことに。
「着いたぞ。この教会だ」
立ち止まったルノーは、そのまま真正面から教会を見上げる。鐘楼に代表されるロマネスク様式。まるで中世にタイムスリップしたかのような荘厳な佇まいを醸し出すが、蔦紅葉が建物に絡まり、カラフルに彩ってくれている。簡素な石造りではあるが、堅牢な鐘塔だ。
隣には公園があり、かつては修道士の墓地でもあった。大都会に聳えているが、ここだけ喧騒から解き放たれたような、そんな静寂と共にパリの街並みを見守ってきた。
二人がアーチ型の正面入り口から中に入ると、修道院附属の教会であったためか、それほど広くはない。縦七〇メートル、幅と高さは二〇メートルというところ。右手には小さな祭壇、ロマネスク様式の身廊と側廊。上部には当然のようにパイプオルガン。
「へぇ……」
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