第62話

 別の次元に迷い込んだかのような、静謐な空気感。サロメは見えない境界線を跨いだ。

 

 側廊の先には左右ともに礼拝堂のような小さな空間。祭壇のようなものがあるのみで、天井を見るとアーチのようになったリブヴォールト。天井だけゴシック、というのはよくある話。身廊には真ん中の道を境に、四、五人がけの長いイスがずらりと並ぶ。

 

 天井や壁面にはフレスコ画が描かれており、内容は旧約・新約聖書。上部には花などをモチーフにしたステンドグラス。差し込む光が淡く内部を照らす。重い石材が多く使われているため、半円アーチが多用され、開口部が非常に小さく少ない。ゆえに薄暗く、厳格さがより増しているようにも感じる。


「照明とかなくて、全部キャンドルなんですね」


 外は曇り気味。ステンドグラス越しの陽の光も弱く、キャンドルがメインの灯りになる。シン、と静まり返っていることもあり、サロメは少し身震いした。


 ルノーは、今日の予定を簡潔に述べる。


「今月の最終日曜日からは、マルシェ・ドゥ・ノエルが始まるね。期間中はピアノを教会内で誰でも弾けるようにしておくらしい。今日はその打ち合わせ兼、試弾のリサイタルでピアニストを、キミんとこから一名」


 パリでは、いや、ヨーロッパでは一一月から国によって呼び名は違うが、クリスマスマーケットという、各地で屋台やら移動遊園地やらが出現するお祭り期間となる。大通りや公園など、広い場所に様々な飲食や雑貨などであふれかえるのだ。


 ウチの学校。なんかそんなことがあるというのを、どこかで聞いたことがあるサロメは、頭の中から情報を引き摺り出す。


「来月のノエルの時期には、学園のリサイタルがありますからね。ここだったんですか」


 興味がなかったため、場所などは知らなかった。別に行くつもりもないが、近づかないようにしておこう、と肝に銘じる。


「今日は調律師じゃなく、観客として聴きなさいな。あ、これ社長命令ね」


 ただ純粋にピアノを楽しめと、ルノーが提案する。いつも調律するだけ。本来のピアノの活用の仕方を、穿った目ではなく一度体験してもらう。


 明らかに嫌そうな顔をするが、一応社長の命令なので、抗うことはできない。サロメは奥歯を噛み締める。


「……なら、調律は見てていいですか。せっかく来たんだから、ずっと座ってるのも」


 普段なら抵抗するまでもなく帰るはずのサロメの変化に、そろそろルノーも慣れてきた。扱い方もなんとなく心得る。


「いいよ。てか見ててほしいね。はっきり言って、私が調律するほうが、いい演奏を聴かせられると思うし」

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