第63話
頑張っちゃうよ、とあからさまに気合を入れる仕草。グランドピアノもここ最近はあまりやっていないので、余計に。
しかし、その姿を冷ややかにサロメは見つめる。
(あたしのほうが、うまくやれる……社長よりも)
音を捉える感覚が、前よりも研ぎ澄まされているような気がする。経験からくるのかはわからないが、今ならどんな割り振りも、ユニゾンも、整調も、整音も。
(誰よりもいい調律ができる……)
そんな予感が、している。
身廊を進むと、内陣と呼ばれる聖職者のみが進める場所に到達する。ロープで入れないようにしてあるとは言っても、小さな主祭壇と聖職者席が存在するのみ。そしてそれらを取り囲むように周歩廊と呼ばれる、巡礼者用の回廊。
内陣の手前にはピアノがある。ザウター『オメガ220』。セミコンサートグランドピアノ。樹齢百年を超えるトウヒを使った響板、熟練のマイスターが丹念に作り上げた芸術品。倍音の伸びはピアノ界随一で『香りがする』とまで言われるほど。
主祭壇と聖職者席の部分、通称アプスに、キャソックと呼ばれる上下黒の司祭平服の男性。ロープを繋ぐポールの横から出て、外陣に降り立つ。
「よく来てくれました。司祭のクロードです。よろしくお願いいたします」
握手を交わし、慇懃に振る舞う。司祭という厳格な役職ではあるが、弾けるような笑顔が特徴。ちなみに音楽についてはあまり詳しくない。讃美歌くらい。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします。あ、こっちは助手です」
「お願いします」
ルノーとサロメも軽く挨拶。いつもと勝手は違うが、同じお客様。リピーターになってもらおう、という野心も持つ。今後も頻繁にリサイタルが開催されるようになれば、お店は潤う。
挨拶もそこそこではあるが、クロードは軽くピアノの側板に触れる。
「じゃあ早速なんですが、ご覧のとおり、こちらがピアノになりますね。ザウター『オメガ220』、この大きさの教会であれば充分と言われました」
薄明かりとキャンドルで照らされた、艶のある漆黒のボディ。ザウターはスタインウェイやベーゼンドルファー、ヤマハやプレイエルなどと比べても、名前は知られていない。世界三大でもなければ、コンクールで使われることもない。
だが、それは長らくドイツ国内でのみ販売されていたことに由来する。品質とは全く関係がない。むしろ、世界三大と呼ばれるピアノと同格とすらされていた。ドイツ産で固めているため、安定した高水準を保っている。
凛とした空気が張り詰める教会内。サロメは最低音域から一気に最高音域までグリッサンドする。
(これは……?)
思ったよりも状態がいい。教会というものは残響のせいで、いい音がわからず調律なんてほっといている、という固定観念があったので、いい意味で予想を裏切られた。
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