第60話

「調律泣かせですね。一体どうしたらいいのやら」


 さすがのサロメもお手上げ、という風に肩をすくめる。やってみないことにはなんとも言えないが、普段よりも気を使うのは間違いないだろう。


 とはいえ、ピアノリサイタルが行われる以上、無視することはできないし、誰かがやらなければいけない。今回、サントメシエ教会のピアノ調律にはアトリエ・ルピアノが駆り出された。一一月から一二月は、調律師は忙しい時期となる。


 経験豊富なルノーとしては、そんな時は導き出した結論がある。


「どちらかというとピアニストの腕にかかってくる部分が大きいからな。調律師がなにかできるとするなら」


「するなら?」


 あまり興味はないが、一応サロメは乗ってあげる。果たしてどうしているのか。


 そんな隣の少女の思いとは裏腹に、ルノーは涼しい顔をする。


「なにもしない」


「は?」


 予想外の答えが返ってきて、サロメはつい驚いた顔をルノーに向けた。なにもしない?


 その理由をルノーが解説する。


「なにもしないというより、いつも通りでいいんだ。残響でメロディがボヤけすぎないようにするには、ピアニストがペダル踏みすぎないようにするとか、バッハを弾いてもらうとか、我々ではどうしようもない。いつも通りの調律でいい」


 あまり残響にこだわり過ぎると、自分の調律というものができなくなってしまう。ゆえに、いつも通りのユニゾンでやるべきだとルノーは主張する。そもそも、ちゃんとした調律を行えば、基音以外のいわゆる倍音も、美しく響いてくれるのだ。


「自宅とか、ホールと環境が全然違うのに、いつもと一緒ってのも変ですね」


「調律師も万能じゃないから。できないことはできない。だが、できることはできる。それをやる。それだけ」


 ルノーの導き出した長年の結論に、なるほど、とサロメも納得する。それなら簡単、いつも通りにやるだけ。ならば一層、なんで今日ここに連れてこられたのか、わからなくなる。


「なら、あたしだけでよかったんじゃ? ひとりでもできますって」


 そもそも、誰かと同行で調律に行くこと自体、あまり好きじゃない。なにかと注意されるのが面倒。主にランベール。親か、というくらいに介入してくる。


 そのことについて、最近のサロメを見ていたルノーに、明確な目的があった。


「たまには人のを見るのも勉強なのよ。お前さんは技術や知識よりも、必要なものがあるってこと、知っとかなきゃね」


 その二点において、サロメと肩を並べることができるのは、店ではレダだけ。だが、彼との決定的な違い。それを伝えたく、ルノーは同行している。

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