第20話
エラール『No.0』。
フランス三大ピアノメーカーのひとつで、その筆頭に位置する由緒ある老舗、エラール。あのリストが愛し、現在のピアノの絶対的基盤となっている技術『ダブルエスケープメントアクション』を初めて搭載した、原初の雄。そのエラールが一九一〇年に送り出した、象牙黒壇の八五鍵盤。
「なんでそんな高価でレアなものをストリートに置くんですか。もう流通もほぼない、芸術品といったほうが正しいまである逸品ですよ」
そうなんだよね、とルノーもうなづきつつ同調する。
「ちなみにこれは寄付ではない。駅近くのピアノ専門店から展示用のを借りてくるらしい。そこも宣伝を兼ねているらしいな。プロのピアニストの新作アルバム発表のためのイベントらしくてね」
「プロぉ?」
「ゲリラ的に二曲くらい弾いたら終わりらしいから、キミ達の思ってるストリートピアノとはちょっと違うんじゃないかな」
なーんか嫌な印象を受けるサロメは、あからさまに引きつった顔をする。そんな中わざわざ自分を指名してくるプロってのはたぶんロクでもないやつな気がするし、自分の勘は案外外れない。
手元の端末を操作して、該当する写真を拡大しつつルノーは全員に見せる。
「パスカル・ヌーヴィック。最近レコード会社から猛プッシュされてる『ピアノ王子』なんて呼ばれてる若手のピアニスト。知ってるか?」
画面にはウインクをしながら鍵盤に手を置く若者が映し出されていた。アイドル路線も視野に入れているのか、公式オンラインショップなるものもあるらしく、写真集なんかも出ている。欲しい人いるのかこれ? とサロメは冷ややかだ。
「知りません。ピアニストなんてどうでもいいですし」
一歩引いた位置から画面を眺めていたランベールは眉根を寄せた。同じ男から見ても、なんとなくだが気に食わないらしい。ただのやっかみの気もするが、ピアノの腕で勝負せんか、と内心では思っている。が、名前は聞いたことある。
「そいつ知ってるぜ。熱心なエラール信者だって聞いてる。エラールしか弾かないことでも有名だ」
「今の時代、どこにエラールが置いてあるコンクールがあんのよ」
プロといえばコンクールで優勝して、名を売ることが最低条件。使われるのはスタインウェイやヤマハなどが大半。ファツィオリなんかも増えている。が、エラールを使っているところなんて聞いたことないとサロメは疑いの目を向ける。
だがそれは昔の話。プロの定義は様々だが、『お金が取れる』というのが定義であれば、音大やコンクールなど関係なく、取れる方法がある。
「いや、彼はコンクールなどには出ていない」
端末の自分に向き直して操作しながら、ルノーは答え合わせをする。
「なんですか? 親の七光り?」
「いや」
トン、と乾いた音を残してタッチし、またも画面を皆に向ける。
「動画配信者だ」
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