第187話
足を止め、声のほうへ体ごと向き合うベアトリスは、言い忘れたように賛辞を送る。
「なんだ? 悪くない演奏だったぞ」
それは本当のこと。音量も。途中に混ぜ込んだアレンジも。よりピアノを引き立てるように。中々初対面で合わせるのも難しいが、それを見事に。
だが、演奏のことなどどうでもいいかのように。それより先を見越した話。ブランシュが決意を固める。
「……あの……もし——」
「あー、あたしも帰ろ。疲れたし。お腹空いたし。じゃ、あとよろしく」
まだ時間がかかりそうなところを見計らい、とっくに飽きていたサロメは帰り支度。ガラガラとキャリーケースを引き、話しこむ少女二人を差し置いて追い抜く。そのまま扉から消え去ろうとする。
そのオンオフの割り切りについて、あまり一緒に調律に出向いたことがなく、聞いた話だけであったレダだが、真実だったと確認。
「……自由だねー……まぁ、本来はいないはずだからね。気をつけて帰りなよ」
一応は心配してくれている。夜のパリは危険があるといえばあるから。サロメも適当に返事をする。
「はいはい。んじゃーねー」
一度も振り返ることなく、閉まる音だけが静かなフロアに響いた。
それに続いてベアトリスも。最後のブランシュだけが慇懃すぎるほどに挨拶し、出て行く。
残されたのは男二人。なんともいたたまれないレダ。とりあえず釈明。
「……まぁ、あんな子達です」
「レダさん」
「? はい、なんでしょう?」
不意打ちで呼ばれたレダ。少し身構えた。
呼んだものの、少し間を置く。そして悩ましく言葉を選んだリュカが、ある一文を引用した。
「……『運命がレモンをくれたら、それでレモネードを作る努力をしよう』って言葉を知ってるかい?」
「いいえ、レモネード?」
なんで? と狼狽するレダだが、リュカがその意味を説く。
「デール・カーネギーの言葉だ。いい材料や条件がなくても、そこから新しく始める姿勢。そこからチャレンジする姿勢が、生きていく上で大事なんだ」
レモンというのは『欠陥品』や『価値の低いもの』という例えに使われることがある。欧米では酸味というものがどちらかというとあまり好まれない傾向があり、その結果いつの間にかその代表例に。しかし、それも閃きや使い方次第では輝く、ということ。
初めて聞いた。だが、今後使えるかもしれない雑学だ、とレダは血肉にする。
「なるほど。勉強になります」
レモネード、帰りに買って飲みながら帰ろう。言われたら飲みたくなった。
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