第242話
「カイル・アーロンソン……さんが一緒に、ですか?」
パリ三区。アトリエ内にてランベールが驚きの表情を浮かべた。いや、想定の範囲内ではある。認めたくはないが。いいピアニストはいい調律師を雇う。至極当然のこと。認めたくはやっぱりないが。
店内には多くのアップライトやグランドピアノ。客はいないため、世間話をしつつこれからについて打ち合わせ。ピアノ専門店のやることは多岐にわたる。調律ができるだけでも、ピアノを売るトークだけでもダメ。どれか、ではなく、どれもできることは重要。黙っていても売れる時代は二〇世紀で終わったのだから。
ここにあるピアノは自分の子供のよう。愛を持って売る男、店長のロジェがアトリエの近況を説明していく。
「いたくサロメちゃんを気に入っているみたいでね。とはいえ、調律の手伝いというわけでもないんだろうけど。それにほら、ピアノまで」
世界的に注目を集めるピアニスト、アーロンソン兄弟がこの店の調律師に狙いを定めた。ちょっと心配な少女ではあるが、信頼もしている。七割は心配。変なことにならないように、出来る限り社長と自分が目を光らせねば。大人の仕事。
そしてその兄弟から、アトリエに寄付されたものがある。先日のコンサートで使用されたグランドピアノ。直射日光が当たらないように少し窓ガラスからは離しつつも、店内に入ってすぐの位置に置かれたメイソン&ハムリン。
その姿を目にし、深呼吸をしてその事実を噛み締めつつ、ランベールは冷静に対処する。
「売り物にはできないですね。競売にでもかけたら世界中から批判が殺到しそうだ」
あくまで彼らからのコンサートに対するお礼、ということになる。転売などもってのほか。そんなことをしたら、こういった噂はどこからか広まっていく。そしてアトリエの悪評に繋がる。そもそも売ることができるのかどうかも知らない。客寄せや演奏に使用させてもらう程度。
「お得意さんになってくれたら嬉しいけどね。今後もヨーロッパツアーはあるだろうし、ピアニストはスポーツ選手と比べても息の長い職業だから」
トゥールーズで行われるコンサートにも使われる。おそらく社長が調律に向かうのだろう、とロジェは予想した。二台とも使うのかはわからないが。
どんなにコンサートが成功しても、調律師やそれを貸し出したピアノ専門店にスポットが当たることはほぼない。それでも、成功の影には絶対に必要な、誇るべき職業。ランベールはその道で生きていくことを決めた。だからこそ。
「……俺が調律に行っちゃダメ、ですかね」
決して焦っている、というわけではない。自分より腕のある調律師などいくらでもいるのだから。それでもランベールは抑えられないなにかを心に感じていて。
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