第243話

 貪欲にさまざまな様々なピアノと環境を経験すること。それ自体はロジェにも推奨したいことではあるが。


「……どうだろう。経験を積むことは大事だけれども、コンサートチューナーの場合は社長が許可するかどうか。この前みたいにアレクシスくんがいたり、とかなら大丈夫なんだろうけど、ウチの人間ではないからねぇ」


 個人宅のピアノとは違い、コンサートは色々と制約も多い。特にハンマーのフェルトをいじる『整音』に関しての取り決めがあることもあり、細かな部分でより精度の高い調律が求められる。


 ならばランベールは、というと、まだ位置的には見習いというところにいる。無論、ピアニストの求める音を作り出すことはできる。それでも、絶対的な経験が足りていない。不測の事態が起きた場合も懸念し、誰か実力者と組ませて実習させることが今は必要と判断されている。


 もちろんランベール自身もそれはわかっていること。それなのに。


「……でも、あいつはカイル・アーロンソンから直々に調律を依頼された」


 つまりそれは歪な形であっても『信頼』されているわけで。口では悪態をつきながらも、調律に取り掛かるとなれば極上に仕上げてしまう。要は結果が全ての世界。調律師にはそれぞれの音がある。比べるものではない。それもわかっている。けれども。


「ランベールくん?」


 なにやら思い詰めていそうな雰囲気に、ロジェは眉を顰めた。もうすでに調律師としての腕は抜かれてはいるけれども。話を聞くことくらいしかできないけれども。


 少し根を詰めすぎているとは気づきつつも。まわりが見えなくなる自身の癖はランベールもわかっている。学習はしていた。


「いえ、なんでもないです。そういえばそのアレクシスさんは?」


 とりあえず今はいない。そもそもアトリエの人間じゃないのだから、当然と言えば当然だが、少し寂しさのようなものもある。まだ、アレクシス・デビラートという人物の底がわからない。おそらくはサロメやレダと同等に近い、技術や知識を持っているのだろう。幸運にもそういう人物達と知り合える今の環境には感謝。


 少し前のことを振り返るロジェ。というのも。


「お世話になった、って一度挨拶に来たよ。それとまた来るって。サロメちゃんを迎えに」


 まだ完全には把握はできていないが、ひとまず悪い交流ではなかったことは安心していい点。もちろん、腕のいい調律師なのでアトリエに欲しい人材ではあるが、どうやらそういう距離感でもなさそう。

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