第257話

 気を取り直して弾いてみる。自信のある曲。『舟歌 嬰ヘ長調 作品六〇』。嬰ヘ長調はほとんど使われることのない調と言っていい。だがそれもショパンの手にかかれば、この世のものとは思えないほど流麗で優しい曲へと変貌する。


 まるで天気のいい日にゴンドラの上で揺蕩っているような、そんな天国にいるかのような浮遊感。それでいて当時のショパンの精神や健康状態を表すような、痛みがところどころに顔を出す。最高傑作と評する人も多い名曲。


(変ト長調で書いても、結局のところピアノで弾くのであれば、同じ音のはず。なのになんでショパンはこれを嬰ヘ長調で……?)


 もう答えなど存在しないから、より人々を惹きつけるのかもしれない。『二人以上いるのであれば、この曲は演奏してはいけない』というショパンの不思議なメッセージも、ただ我々を喜ばせるだけ。恋人に捧げる曲、ということかな。


 イタリアのヴェネツィア。その水路を辿るゴンドラの船頭。その人物が歌う歌こそ舟歌。波のように。寄せては引いて。心地よく揺れながら。


(……うん、すごくいい感じには弾けている。私の舟歌。でも、これは……)


 弾けば弾くほどに。自分の理想に近づき。そして落胆もする。勝つためのピアノではない、と。自分の目指すショパンは。コンクールでは目指すものではなくて。


 もちろん、自分の出場する回がたまたまそういう審査員に恵まれて、ショパニストを高く評価する時だったりするかもしれない。だが、変動してきている傾向。評価。そして、その時も『そうなのではないか?』と疑ってしまうと、ピアノの純度が薄れてしまう。


 そうなると、ブリジットは器用に適応することができない。信じてきたものを疑うことは、自分の中のショパンを疑うこと。鍵盤とペダルという、非常に繊細な操作をプレッシャーの中で行うことは。想像以上に精神を削ることで。


 入賞しても、精神が耐えられずにピアノを辞めようかと考えてしまうこともあると聞いた。それがショパンコンクールだと。もちろん、簡単なコンクールなどないが、その中でも詩人の宴は最高に近い。


「……ふぅ……」


 今日はリディアはいない。あまり喋るのは得意ではないけれど。友人達と過ごすのはすごく好きで。ピアノについてとか。将来とか。スイーツとか。でも。こうしてみると、ピアニストというものは孤独に耐えなければいけない生き物、なんだなって。


 次は。なにを弾こうか。弾く意味はあるのだろうか。練習になっているのだろうか。コンクールの空気感をイメージしてみる。離れたところに審査員。自分を見ている。一挙手一投足。汗を拭く動作。鍵盤が。ダイヤモンドでできているのか、ってくらい硬く感じる。あ、ダメな時の感覚だ。

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