第56話

 「ウチの調律ではないんだよね。アトリエ・ルピアノは、そのメーカーやそのピアノの長所を伸ばすことを一番にしている。例外もあるけど、少なくとも無理やりそっちのほうに引きずり込む調律はやっていない」


 間違いなく、自分達の商品として、自信を持って売れる品であることは言い切れる。しかし、イレギュラーな点を踏まえると、どうしても心からオススメできるのかと言われると、しこりが残る部分もある。葛藤しつつも、現状維持のまま、販売は続けていている。


「難しいですね。自分なりになにか変化があって変えていこうと決断したなら、それもありですけど、そうじゃないなら」


 と、チラリとランベールは店内の隅を見やる。そこには、サロメの調律道具をまとめたキャリーケースが置いてある。デルセーの小型で、だいぶ長いこと使っているのか、ボロボロである。


「もしかしたら、調律師を辞めるのかな」


 一台のアップライトの蓋を閉めながら、物悲しげにロジェは呟く。なんとなく、全台見出したことと、心境の変化を感じ取り、そんな気がしてきていた。色々と迷惑をかけられてきたけど、それはそれで楽しいものであった。なにより、彼女に未来の調律師の姿を重ね合わせている。技術があり、野心があり、誇りがある。そんな、理想像を。


「それはないですね、断言します」


 アホくさー、と自分の仕事に取り掛かろうと、ランベールはイスから立ち上がる。辞める? ないだろう。世界中のピアノを一台残らず調律して生き返らせようとしてる、という方がまだ嘘くさい。結局、何の時間だったんだ、と思考を切り替える。


「そう? まだ一六歳だ。あれだけの実力があるなら、僕はもちろん残ってやってほしいけど、違う道を選ぶというなら尊重したい。でも辞められちゃうと困るんだよぉ」


 バインダーに留めた資料を眺めながら、ロジェはそうなってしまった未来を想像し、青くなる。予定にはサロメサロメサロメサロメと、びっしり詰まっている。


 まだこの人はそんなこと言ってるのか、と一応ランベールは問うてみる。


「なにかあるんですか?」


 これだよ、とロジェは資料を見せてくる。


「配信の影響がまだかなりあってね、彼女を指名してくれてる方が多いんだ。違う人なら、今までの調律師で充分て言われちゃってる」


 最近で一番思い出したくないことを思い出し、ランベールは過呼吸になる。人生で一番冷や汗をかいた。ふざけ半分であの爆弾を世界に向けて送り込むんじゃなかった、と。


「そんな客寄せパンダみたいな……ことをさせたのは我々ですね」


 その点は少し反省した。


「サロメちゃんもサロメちゃんで、嫌な顔せず全部受けちゃってるから、相当先まで埋まってる。こんなこと今までなかったのに」

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