第261話
最近になって増えてきたこと。なんとなく、ピアニストの目指す音がわかる気がする。気がする、だけかもしれないけど。前はわかることもなかったから、進歩しているんだろうとは思う。
今どんな音を奏でたい、とかではなくて、その先にあるその人の三〇年後とか四〇年後とか。どんな音をみんなに届けるピアニストになっていたいとか。こうなんじゃないか、っていう予想でしかないけど。
もちろん違うかもしれない。まるで詐欺まがいの占い師だな、と自分でも思う。だってそうだろう、その時になってみないと本人でさえ確認できないことを一方的に、こっちが有利な状況で決めつけてるだけなんだから。違ったとしても誰も覚えていない。
もし覚えている人がいたとしても、そうなったら「こっちも良いですね」って同調すればいいだけ。波風は最小限に。その時できる最高の調律さえすればいい。音楽なんて曖昧なんだから。
少しずつ経験値が増えてきたから、俺ことランベール・グリーンはチューニングハンマーを自信を持って回すことができる。最初の頃はおそるおそるだったが、そんな風にやっても利点はひとつもないことに気がついた。一発で決めるのではなく、何度もやり直せばいい。
自分は非常に恵まれている、そう思う。調律に確かな実力を持った人物がまわりに多い。様々な音の捉え方を学べるし、常に人手不足だから多く実践の機会を得られる。パリという場所もクラシックの本場だ。多種多様なメーカーにも触れられる。
「社長、少しお話が」
元々はピアニストを目指していたこともある。調律師は弾ける必要はないが、弾けるに越したことはないし、上手い人も大勢いる。作曲家談義なんかできると、ピアニストと打ち解けるのも早かったりするし、細かい部分で寄り添える。
例えば。ショパンやリストの生きていた時代とは調律が全く違う。一九世紀後半から平均律という調律法が主に採用されているが、彼らロマン派は『ウェルテンペラメント』という調律法だった、と言われてるし、違うかもしれない。ともかくはっきり言えるのは、当時とは確実に音が違うということ。
この時代はピアニストが自ら調律していたかもしれないし、どんな調律が基本だったかといったことさえも不明。録音の技術がなかった時代なので仕方ない。むしろ、わからないからこそ想像力が掻き立てられる。
そうなると、ロマン派にこだわりがある人は『ウェルテンペラメント』を好むこともある。クラシックの全盛期、彼らと同じ雰囲気を楽しむ。素敵なことだ。なにも上を目指すことだけがピアノではない。やりたいように楽しむこともピアノ。それもピアノなのだから。
だから。自分が目指すのは、誰もが楽しく。ピアノそのものが好きになるような。ずっと先も弾き続けていけるような。そして、どんなリクエストにも応えられる。そんな調律師に。なるために必要なこと。それは——。
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