第262話
即興曲、というとその場で思いついたように自由に弾く、という意味で捉えられがちだが、ピアノは幾分かテイストが違う。どちらかといえば、アドリブというよりも『ふとした瞬間に頭に浮かんだことを凝縮した曲』、そんなニュアンスが近い。
そのため、作曲家によってもその捉え方が違うので、かなり自由度の高い枠組みとなる。分類がよくわからなければとりあえず即興曲、そんなことも罷り通る。ショパンの場合、四曲存在する。
(『即興曲第二番 嬰ヘ長調 作品三六』。随分とマイナーな曲を)
どの曲でくるか、と頭の中を駆け巡らせていたグラハムだったが、その選択肢にはなかった曲。眉間に皺が寄る。
前述の通り、ショパンはこの自由な曲を四曲残しているわけだが、伴奏などそこかしこに共通点は存在する。そういったところから彼の、つい出てしまう癖のような部分。脳内が垣間覗けるような、そんな足跡が見え隠れする。
穏やかな日差し。もしくは星の光にだけ照らされているかのような。そんな淑やかな開幕。悠久の時さえも感じる美しい旋律が、少しずつ力強さを増していく。
転調は大胆に。嬰ヘ長調、ニ長調、ヘ長調、そして嬰ヘ長調と。五分ほどの短い曲の中にショパンの気まぐれな部分が表現される。一番と四番が演奏されることが多いため、中々聴く機会もないのだが、ブリジットからすれば不思議で仕方ないほどに、彼の魅力が詰まっている。
「……」
弾き終えると、目を瞑り息を吐く。一緒に魂のようなものまで抜けていきそう。緊張から少しずつ解放される。
パチパチ、と拍手をしながらグラハムは気になったことを詰めていく。
「ひとつ聞いていいか。なぜこの曲を?」
非常に完成度の高い曲だということは理解している。作品の中では埋もれ気味だということも。だからこそ、なぜ今なのか。単純な興味。
即興だから、という意味合いもあるが、それよりもブリジットには当てはまる想いがある。
「……わからないから、でしょうか……」
語尾になるほど声が消えていく。
「わからない?」
どういうことなのか。理解が追いつかず、ついグラハムは立ち上がってしまう。
一瞬、身をこわばらせるブリジットだが、そのまま続ける。
「……この曲は、作曲したショパンですら『この曲が良い曲なのか、時間が経ってみないとわからない』と、残した曲、なんです。それで時間の流れ、を意識した曲を選んで、みました。私はこの曲は、とてもいい曲だと、思います……」
自然と脳が、指が、そういう曲を選んでしまった。彼女もそれほど頻繁に弾くという曲ではないのだが、今この場に最も相応しい。そんな気がして。
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