第22話

「全世界に配信とか絶対嫌なんですけど。着ぐるみ着てあんたがやってきなさいよ。喋れない設定で」


「身長でバレるだろ」


 たしかに、キリンの着ぐるみでもない限り、一八〇半ば身長があるランベールが女子と言い張るのも難しいだろう。


「絶対に嫌」


「成功すればウチにたくさん調律の依頼が舞い込んでくるのになー。そうすればたくさんグランドピアノ調律できるのになー」


 実際に舞い込んでくるかどうかは不明ではあるが、とりあえず持っている手札は全部使って、ルノーは嫌がるサロメを口説き落とす。無論、宣伝になることは間違いないので、さらに大きな副産物もあるかもしれない。


「?」


 事情を知らないロジェとランベールは首を傾げる。そんな理由でこのわがままなお姫様が首を縦に振るのだろうか。


「もしかしたらすごく運命的なピアノに出会えちゃうかもなー」


「なんの話です?」


 というランベールの疑問を遮るように、


「三〇分」


 表情だけは嫌悪感丸出しのままで、妥協をサロメは告げた。


「三〇分、調律だけやってやる。整調と整音はそっちでやってこいと伝えてください」


 突然方向転換をしたサロメに、目線の先のロジェはたじろぐ。


「わ、わかりました……」


 それから、と付け加えるサロメ。


「キンキンに冷えたピアノの調律をする気はないので、しっかりと温まったピアノを温かい場所で調律してから演奏すること。それも伝えておいてください」


「は、はい……」


 逃げるように立ち去るロジェの背中を見送り、深く深くため息をついたサロメは、座っているピアノの鍵盤を一瞥する。妙なことに巻き込まれたなと後悔しつつ、エラールという楽しみは一割ほど。たぶんあのピアノは違う。


 一応、動画でパスカルの演奏を観てみるが、特別やはり上手いわけではない。そこいらのピアノの先生の方が上手いだろう。というかフォルテの叩き方が気に食わない。音も濁っている。


「血祭りにあげてやる」


「どうやってだよ」


 いつの間にか隣に来ていたランベールは、楽しみでウズウズしているような表情。物騒な言葉を吐くサロメをなだめる。


 しかしサロメはすでに獲物を視界に捉えた猛禽類のように、どうやるかと作戦を練っている。そもそもなんの曲弾くか知らないのに合わせた調律なんかできるかと冷静に考えてもいる。


 自宅のピアノの調律ではあまりやることではないが、コンサートやリサイタルなどでは演奏する作曲家が決まっていることも多く、その作曲家と演奏者に合わせて調律をすることがある。和音の構成や倍音の具合など、そこで個性が出せるのが調律のいいところだ。


 が、なにを演奏するかわからないと細かいところは平均的な調律となる。まぁ、そこまで気にするタイプと腕でもないかと結論づけた。


「二度と外でピアノ弾こうなんて思わない体にしてやる」


 相変わらず苦いコーヒーをちびちび飲んでいるかのような、険しい表情で動画をサロメは観ている。調律が終わったら金輪際、関わりたくない人間ではあるが、それでも手は抜かない。なにかヒントだけでもあれば見抜く。


「言っておくが、アトリエの名前が出るからにはヘタは打てないぞ。一気に名が落ちる。そうなると調律の仕事どころか、販売やら他のところにも影響があるからな」


 先ほどからブツブツと独り言を呟いているサロメに向かって、今度は心配の表情をランベールは浮かべる。店の信用がかかってるところは気がかりだ。ただ調律をするだけなら問題はないだろう、だがまだ精神にブレがある少女だ。よく考えたら、店の看板を一身に背負うには重すぎるかもしれない。少しだけ悪いことをした気がする。少しだけ。


「大丈夫なのか?」


「なにが? 安心して。調律はちゃんとやる」


 ところどころ「3C、4F」など音楽用語を声に出しているあたり、なにかを掴んでいるのかもしれない。


(こいつのことだから、手を抜くことはねーか。しかし)


「息の根を止めてやる」


(こいつがここまでキレてるのを見るのは初めてかもしれん)


 終わるまでランベールの不安はつきそうにない。

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