第127話

 特に遠慮するつもりのないレダ。ここぞとばかりに手持ちカバンから紙袋を取り出す。


「ありがとうございます店長。持ち帰り用のワインももらっていいですか?」


 帰ってから飲む用も。だが今日はそういう日。パリではお祭りとして認識されている。


 一応ランベールは未成年ゆえにオランジーナにしておく。


「いや、遠慮しなさすぎでしょ。まぁでも難しい調律なんかはレダさんに引き受けてもらってますからね。聞きましたけど、ビブラート……させるピアノがあるって」


 なんじゃそりゃ、と半信半疑どころか完全に疑っているが、真実は突き止めねば。ビブラート、つまりピアノの音を震わせるなんてラシッドの演奏でも聴いたことない。やってみよう、と試す気にもならない。そんな技術あったらまだピアニストをやっている。


 都市伝説くらいの信憑性での質問だったが、あっさりとレダは認める。


「あるね。彼女くらいなものだから、気にしないでいいよ。不必要な知識だ。でも最近調律の依頼、その子からこないんだけど、どうなってんですか社長?」


 そろそろ行きたいところだが、電話がこないのでは向かうわけにもいかず。少し戸惑う。調律自体に手応えはあるので、今の時点でそこまで狂っているという気はしないのだが。


 これだけは譲れないという秘蔵のコレクションを飲みながら、ルノーは受け流す。


「さぁてね。調律に興味でも出たんじゃないの、ウチの子みたいに」


 子供は移り気。どんな実力がある子でも、ふとした瞬間に辞めてしまうことがある。他にやりたいこと、勉強に集中、伸び悩み、様々だ。無理やりやらせてもすぐに限界がくる。そんな時は離れてみるのも手。他に何かしらの形で伸びるものもあるかもしれない。


 とはいえ、不要と言われても、調律人生で一度も出会うことがないとしても。ランベールはよりピアノを深く理解したい。


「でもそれ、俺にも教えてください。どんなピアノも調律できるようにならないと」


 そういうものができるようになれば。調律を通してピアノに潜ることができる。人生をかけて追求すべき課題。


 だが、あまり乗り気ではないレダ。知識はあればあるだけいい、とも限らないのが彼の持論。


「使わない技術だよ。それよりも身につけたほうがいい技術はたくさんある。弦の張り替えとかタッチウェイトマネジメントとか。今度そっちをやってみよう」


 ピアノは音楽でもあり、物理学でもある。タッチを軽くするために、計算式を使い鉛の量を追加する。鍵盤の重さと動作の重さ。バランスウェイトと慣性モーメントのデータを取り、重さ・寸法・テコ比率を八八鍵全てに当てはめて、微細に調整をすることも調律。むしろ、弾き手の練度が上がれば上がるほどにこちらが重要になってくる。

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