第251話

 ショパンは同じ曲を弾く時、毎回必ず響きのニュアンスを変え、一期一会の音を目指したとされている。全くバラつきのない音、ではなく、その時にしか弾けない音。様々な感情。技術といえばそれまでだが、よりショパンに近づきたいのであれば、ショパンと同じように弾いてはいけない。


 例えば一八回のコンクールで二位となったガジェヴは『葬送行進曲』で審査員から「ショパンの描いた『死』ではなく、その先を表現できている」と絶賛。優勝したブルース・リウは心の思うまま、つまり『フォービズム』で一般的なショパニズムからはかけ離れた個性を発揮した。


 さらにスペインのガルシアも実際に歌いながらピアノを弾くという、グレン・グールドのようなクセの強さを発揮し、賛否両論ありながらも三位。逆に、楽譜に忠実すぎるほどに忠実で、ミスもほとんどなかった牛田智大は二次予選で落とされている。


「もちろん音楽の世界は曖昧で、好み次第で如何様にも順位は変わる。反田恭平のように、ショパニストで二位になることも。だが、彼の場合は予選ごとに弾き方を変え、そして他の演奏者がみんな個性的ゆえに、あえて本戦では突き詰めたショパニストとなった」


 過去のコンクールで、どの曲がどれだけ弾かれているか統計を取り、自身に合う曲を手探りでじっくりと長期間かけて選ぶ。ポーランドらしさ、筋肉の質まで緻密に計算し、そして臨む。彼のような傾向と判断力。キミは備えているかな? そんなカイルの挑発的な情報。


 クラシックへの造詣の深さ。先ほどの発言。そしてどこかで見たことのある容姿。ブリジットの中でなにかが繋がる。


「……! もしかしてあなたは……」


 いや、でもなんでここに? 脳が肯定と否定を繰り返して混乱した。だが、もしそうなのであれば納得はいく。納得はいくが、やはり「なんでここに?」という想いはさらに頭を悩ませたまま、彼女を立ち上がらせた。


 空いたイス。そこにゆっくりと腰掛けたカイルは、軽くストレッチをしながら鍵盤のタッチを確かめる。


「僕はね、ピアノはガールフレンドで。違うピアノに出会うたびにこのガールフレンドをどう攻めておとすか、それだけしか考えないんだ。弾く曲は弾丸。それを技術というリボルバーにこめて引き金を引くだけ」


 まぁ、コンクールでは勝てないよね、とひとり納得。なぜなら自己完結してるから。他者の解釈の余地など与えない。そこには作曲家の意図など反映するわけもなく。


「『ラ・チ・ダレム変奏曲』。誘惑の二重奏」


 唐突に始まった演奏。それはモーツァルトのオペラを主題にした、若き日のショパンが作曲した変奏曲。小声でサロメが曲名を答えた。

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