第218話
こんな考え方を持って調律する人はアレクシスも見たことないし、自分でも基本やることはない。だが、将来有望な少年を見ると色々と教えたくなってしまう。その結果。
「リヒャルト・ゲルツ。メイソン&ハムリンのピアノ設計者だ。彼の魂を、音をここに呼び起こす」
ずっと昔に亡くなってしまったひとりの男。その人物。
ピアノについてはかなり勉強しているランベール。自身はサロメと比べても凡人だということは理解している。ゆえに、知識を詰め込めるだけ詰め込んできてはいるが、そんなところまでは研究の対象外だった。耳を疑う。
「設計者……? そんな調律が——」
「ま。実際の音源が残ってるわけでもないから、本当にそうなのかは知らないけどね。ただ、彼の軌跡を辿れば、自ずとどんな考え方で設計していたのか見えてくる」
自信満々に『呼び起こす』なんて言ったアレクシスだったが、当然どんな技術者だったのかはわからないし、目指したものまで記述されているわけではない。だが、彼を知ろうとすると様々な事象に行き着く。そこからの逆算。
どんどんと訝しむ態度が如実になっていくランベール。名前も知らなかった人物を降霊させると言われても。正しいのかは本人含め誰もわからないのに。
(サロメとも、レダさんとも社長とも違う。そのメーカーの過去に潜る調律。そんなものが……本当に可能なのか……?)
そんな懸念を吹き飛ばすように、アレクシスはどんどんと進めていく。時間が勿体無い。早くそのピアノのベールを脱がせてあげたい。
「彼は古楽器、つまりフォルテピアノにも通じ、ニューヨークスタインウェイのアメリカ式を学んだ。そして帰国後、ベヒシュタインやブリュートナーからも技術を学び、ドイツ式とも融合した唯一無二のピアノが完成した」
と、本で読んだことがある。アメリカとドイツには譜面台やペダルのプレートなど、細かな音以外での違いもあり、挙げるとキリがない。が、メイソンは当時としては少し特殊な作りをしていたことがわかっている。それが。
「……独立アリコート」
くぐもった声でランベールが答える。ここからは非常に難しい話となる。
弦を張るヒッチピンとチューニングピンの間には『ブリッジ』と呼ばれる木製の部品が存在する。張られた弦を乗せ、その振動を響板に伝える非常に重要な装置なのだが、この部分が剥がれてしまうと『駒剥がれ』という、しっかりと音が出ない状態になるほど。
その弦圧の強さにより、メーカーごとに考えうる『最高の音』を生み出す。八八鍵全てに均一性を持たせ、ブリッジの位置や力学的な計算を元に追求することは、非常に経験がいる作業。
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