第217話

 ここはアレクシスにとっても初めての場所ではないが、かつての自分と全くの同意見で笑いが込み上げてくる。


「憧れの舞台、にしては物足りないよね。残響も少ない。聴き手が努力しないと聴き逃すかも。でもね。これが現実」


 クラシックの本場。さらにパリの中でも有名なホール。だが、だからといってなにもかもが最高のものとは限らない。調律の悪いピアノなどザラ。さらには地下鉄の音や振動が入ってしまうため、深夜に録音をするようなところも。


 なんだか、ミシュランで星を獲得している料理がそんな美味しいと感じられなかったような、そんな苦しさをランベールは覚える。


「あまり学校の音楽科の生徒達には教えたくない事実ですね。いや、早めに知っておいたほうがいいのか……?」


 実際にここに立てるヤツが何人いるのかはわからないが。その時のギャップでがっかりしないように。いや、余計なことはやめておこう。そんな葛藤。


 若いうちはどんどん悩むべき。そんな風にアレクシスは考えている。


「人にも作曲家にも合わせられない。環境も難しい。となると、色々とごちゃごちゃ混ぜ合わせたコンサートにするほうが悪い。自由にやらせてもらおうか」


 そして今回は彼の手本になれるように。おそらくは出会ったことのない音を目指してあげよう。


 『自由』という発想。そこからランベールが連想できるのは、ピアノの縛りを開放するようなイメージ。調律前でギチギチと鎖で縛られたような、そこからゆっくりと起こしていく。


「メイソンとなると……やはり高音の繊細な美しさ。全体的に倍音は柔らかい調律にする、ということですか?」


 長らく調律されていなかったりすると、ピアノが本来の力を引き出すのに時間がかかる。演奏中にどんどんと響きが変わってくることもあるので、最初と最後で全く違う音質にさえなってしまう。そうならないよう、今からじっくりと。


「それもありだけど、どうせ私が責任を負うわけじゃないから。弾き手でも作曲家でもメーカーでもない。そんな調律もいいんじゃないかな」


 ミスをしても自分は逃げるだけ。開放的な気持ちで調律ができる。アレクシスとしては予定とは違うが、面白くなってきた。


 さらに謎が増えていく。まだ会ったばかりということもあるが、なんで腕のいい調律師はこんな面倒なヤツばかりなんだ、とランベールは少し辟易する。俺はこうならないように気をつけよう。で。


「弾き手でも作曲家でも……メーカーの良さを出すわけでもない……? じゃあどんな……」


 さっぱりわからない。頭皮をマッサージしてみるが、もちろんなにも。地下鉄の音が微妙にする。

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