第117話

 駅に降り立った少女は、まず時刻を確認した。今はまだ夕方。言われた時間までかなりある。


 さて、どうしようか。それにしても人の多いこと多いこと。育った場所では一番混む時間帯でも、それなりに余裕を持って歩くことができた。人とぶつかったことなんて記憶にない。


 しかしここは。なにかお祭りでもあるのだろうか。いや、そうだ、今日は。だから呼ばれたんだ。久しぶりに一緒に見ようか、と。胸が高鳴るのと同時に、エスカレーターを降りながら『音』の賑やかさに頭が痛くなる。


「パリ、ねぇ……」


 あまりいい思い出はないが、ここにあるはず。そして探す。それだけが行動の理由と活力。それとあと、スイーツ。ご飯。胃に入るもの全般。それだけ。あと映画とか。古いヤツを映画館で。それだけそれだけ。


 あの人もずっと探してくれてはいるけれど、音でしか判別できない。できるのは自分だけ。手伝ってくれているのはありがたいが、もしかしたら見逃してしまっているかもしれない。ならば、もう一度。全て調律すればいい。自分で。


「にしても……暑……」


 人々の熱気か。夜のパリを想像して、抑えきれない熱気が漏れているのか。自分はそこまで期待していない。ゆえにいい迷惑。もっと空いている日を選んで呼べと言いたい。


 ここ、パリ北駅といえば、映画『パリに見出されたピアニスト』で、主人公がヤマハのアップライトを弾いて、コンヴァトのディレクターに認められた場所だ。だがよく考えてみてほしい。こんなところに置いてあるピアノが、そんないい音が出るわけがない。


 気温も湿度も安定しない。音律が揃っている保証は? ペダルの重さは? そんな状態でいい演奏なんて出来る? 答えはノン、だ。あたしだったらピアノは弾くべき正しい場所へ移す。ストリートピアノなんてピアノを傷めるだけだ。


「つっても、エンターテイメントだから、ありっちゃありなんだけどね」


 あの映画を観て、調律がどうとか、レット・オフがどうとか、『から』がどうとか考える人なんてほとんどいないだろう。どん底少年の成り上がりロード。それが観たいんだ。でも。あたしは。


「調律師だから」


 全てのピアノは。あたしにひれ伏す。

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