第255話
ふっ、と先に息を吐き出したのはカイル。一番近い存在だからこそ、この感覚を共有できたら。
「グラハムももう少し柔軟にやっていこうよ。そうだ、明日も学園に行ってみようと思うんだけど、グラハムもどう? いいピアノがあるんだ。ペトロフ『ミストラル』」
今まで弾いてきたピアノのどれとも違う、自然で透明感のある響き。まるで森の中にいるような。それでいて近代的な時の流れも感じる。重みのある音。
弟の言うことは、自分では到底出すことのできないもの。聞く価値はある。あるのだがグラハムとしては聞き流したいことのほうが多い。
「……やらん。言っただろう。休むのも仕事のうちだ。観光程度にしておけ」
凱旋門とか。シャンゼリゼ通りとか。リフレッシュできるようなものを。それくらいであれば自分も付き合うのに。結局のところ、こいつはピアノ馬鹿。真面目で不真面目。口には絶対に出さないが、自分に足りないピースはこれなのだろうか?
悩んでる悩んでる。考えていることがカイルには手に取るようにわかる。気がする。自分に対してコンプレックスを持っていることも。
「観光だよ。僕にとっては全てがピアノに繋がってるだけさ。カフェのコーヒーも。初めての道を散歩することも。スポーツの観戦も。オンとオフなんてない。常にオンの状態なのさ」
そして同時に自分も彼にコンプレックスがある。相手を慮って不器用に気遣いして。たぶん、上に立つ人間とはこういうものなのだろう。自分が自分でいられるのも、彼がいるから。縁の下から家ごと持ち上げて、担いで道を示してくれる。
互いに思惑が交差。していることにはグラハムは気づかない。胃が痛くなるような日々が続く。
「……考えておく」
そして部屋から出ていく。この部屋自体はグラハムのものだが、向こうが出ていくより自分が出て行くほうが早いし、少し歩きたくなった。このホテルにもピアノがあったはず。それを求めて。
「強情だね。ま、行くだろう。伊達に双子はやってない」
閉じられたドアに向かってカイルは呟く。確信の呟き。そういうところが。彼の良いところ。
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