第195話

 当たってほしくはなかったが、結局こうなるだろうというのはルノーにもわかっていた。責任は重大だが、こうなったら切り替えるしかない。


「今回は断る、ってことでいいんだな。ま、別に担当した調律師やアトリエの名前が世に出ることはないわけだからな。あまり自信はないが、私が担当するか」


 あまりというか全く自信はないけど。だが、だからといって自分の店のピアノを他人に任せるわけにもいかない。当日までの気が重いが、やれるだけのことをやるのみ。


 もちろん社長の調律が悪い、とはサロメも思わない。丁寧でしっかりとしたコミュニケーションと、それぞれのピアノの個性を活かした仕事。それはメイソン&ハムリンであっても変わらないだろう。


「別になんの問題もなかったんじゃないの、最初から。あー心配して損した」


 大きく欠伸。心配していた人物の行動ではない。


「今は彼らのピアノも配信されている時代だ。気になったら聴いておけ」


 やる気がないのはいつものことだが、突然やる気出すのもいつものこと。扱い方を心得ているルノーは一応の予防線も張っておく。気軽に聴けるのはこちらとしては有り難い話。


 わざわざ調べて聴けと。「はっ」と鼻で笑いつつサロメは重い体を起こす。


「興味ないっつーの。んじゃ、あとよろしく」


 颯爽とスイーツに向けて歩き出し、その頃には双子の名前も頭から消え去っている。兄弟といったらライト、もしくはテリーとドリー。


 突風が駆け抜けていった。静かになったところで、自分の確かな考えをランベールは伝える。


「謙遜してますけど、社長であれば充分じゃないですか? 俺は全くあいつに劣ってるとは思いません。俺であれば社長に頼みたいですね」


 サロメは最高級の技術と耳を持っている。それは間違っていない。だが社長ほど弾き手に寄り添った調律師を知らない。あいつはピアノの力を最大限に引き出すかもしれないが、こちらはピアニストの力を引き出す調律。ついでに会話からメンタル面も整えてくれる。


 なんだかこそばゆさを感じつつも。そういった評価をルノーは悪い気はもちろんしない。


「ありがたい評価だけどね。さて、どんな調律がいいか一緒に考えてくれ」


 ピアニストにもそれぞれの哲学、のようなものがある。倍音の響かせ方や、タッチの柔らかさ。曲目が決まっているのであれば、その曲を聴き、欲している音の方向性を見定める。色々な意見があれば調律の幅も広がる。


 当然、自身にそこまでの演奏技術があるわけでもないが。そっちの視点からランベールなりに探ってみようと意気込む。


「わかりました。それじゃ、曲目は——」


 なんとしてでも成功させて。今回のような大きい仕事を経験値にしていく。その先に目指す調律師像があるから。

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