第172話

 それでも食い下がるレダ。なんとしても調律してみないと、調律師を頻繁に変えているようだし、後日また呼ばれる保証もない。


「そこはほら、貸しがあるし? 今日は僕のおかげで来られたわけで——」


「どちらでもいい。早くしろ。私は忙しいんだ」


 そのやり取りを、数メートル横で冷ややかに見つめる人物。レトロなキックカーのシートに座り、苛立ちを隠そうとしない。ブロンドの髪を揺らし、ハンドルに肘を置いて頬杖をつく。


 今日が初対面。割り込んできた人物に対して、特にまだこれといった印象を持っていないサロメだが、なんとなく反りが合わなそうな気はしている。


「その乗り物、似合ってるわよ。サイズ的に」


 自身よりもひと回り以上小さな体躯。ピアノには不向きだ。だが、会った瞬間に背筋がゾクッとしたのを覚えている。とりあえずぶつかってみよう。


 だがその誘いには少女は乗らず、大きくわかりやすいため息。


「こんなのが調律師とはな。フランスも終わりだ」


 わざとらしく頭を抱えた。本当は本人にはどうでもいいこと。


 やり取りを確認しつつ、期待は全くしていないが、レダが誘い込む。


「ならキミが戻るかい? こっちの世界に。みんな喜ぶよ」


 ベアトリス・ブーケさん。そう、名前を最後に付け足した。


 ちっ、と舌打ちしつつ、ベアトリスと呼ばれた少女はここに来た経緯を説明。


「今日、私は借りを返しにきただけだ。戻るわけがない」


 一切の感情の揺らぎもなく、即座に却下。このつまらない余興が続くなら帰るつもり。仕事がある。暇じゃない。弟も待っている。きっと。


 自分のことは置いておいて、その不遜な態度にサロメは舌を出して、あからさまに遠ざける。


「てか。誰この人? なんの知り合い? 偉そー」


 とはいえ、滅多に反応しないピアニストレーダーがアラームを告げた。オカルトの類だが、なんとなく上手いピアニストがわかる。気がする。ゆえに警戒を解くつもりはない。


 先ほどからやたらと突っかかってくる生意気な小娘。そろそろ、とばかりにベアトリスは反撃に出る。


「そっちこそ本当に調律できるのか? 少しでも弾きづらいと感じたら私はそこで帰るぞ」


 そもそも借りがあるのはレダ。こいつじゃない。


 その言葉にサロメは静かに憤慨する。


「……言ってくれんじゃん。レダさん、こっち任せてもらうわ。いいでしょ?」


 その意図を読み、中身は違えど同調するベアトリス。


「レダ。こいつにギャラクシーの調律をさせろ。及第点が取れたらグラスホワイトも弾いてやる」


 ま、無理だろうがな、と余計なひと言も忘れない。また火花が散る。

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