第87話

 だが、それに答えたのはサロメ。水を得た魚のようにハツラツとする。


「いーや、世界平和を僕のピアノで、なんて大層なものより、それくらいこぢんまりした理由の方があたしは好きだね。いいじゃん、母親に認めてもらいたいから優勝。お父さんはそれでいいの?」


 話をカリムに曲げる。人の家庭のことなどどうでもいいが、なにやら揉め事になりそうな予感を察知して、色々と根回しをする。


 少し間を置き、カリムは考えをまとめた。


「……口は挟むが、基本はやりたいように任せている。だが、将来、この家を継ぐのはお前だ。それならばなにをしてもかまわんよ」


 貴族とは言っても、当然なにかしらの仕事はしている。保険会社の会長をやっているような人物もいれば、ワイナリーを経営している人物など、多方面で活躍している。とすると。


「なんの仕事してるの?」


 そこに興味を持つのはサロメ。ズケズケと他人の家を解体していく。


 視線の先のカリムはそれに返答する。


「貿易商だ。ピアノを弾く時間など、そう取れないだろう」


 ドイツやイタリアなど、主要な国との食品や飲料の分野での貿易会社。とてもじゃないが、ピアニストで貿易会社の社長、など聞いたことはない。


 それを捨ててでも、強い決意でユーリは目指すものがある。


「……優勝したら、その話は無しだ。僕はピアニストになりたい」


 お金では手に入らないもの。それがこのブリュートナーには詰まっている。


 しかし、空気を読まずサロメはひとつの提案をする。


「動画配信すれば今からでもプロのピアニストになれるわよ。ストリートピアノでも弾いて」


 かつて自身の逆鱗に触れた職種。家柄とピアノと容姿。配信者としては、なかなかに出来上がっている。


「バカか、あなたは。なんで僕がストリートでピアノなんか……いや、弾きはしないが、頭の隅には置いておく。色んなピアノがあっていい……」


 一瞬、そういった者と一緒にされたことに、ユーリも苛立ちを覚えたが、彼らも覚悟を決めて、同じピアノに向き合っている、と考えを改めた。なんとなく、昨日までの自分では、到達できなかった思考のような気がする。自分でも不思議だ。


 そして、口ごもる息子の様子を見、カリムが口を開く。


「サロメ・トトゥさん。私から調律をお願いしたい。勝てるピアノ、とまでは言わん。この子の最大限のサポートになる調律を」


 音楽のことはよくわからないが、ユーリがここまで自身に反発するピアノという楽器。親としては、やれることはやってあげたい。


 元々、彼からの依頼ではあったが、ランベールは矛盾しているような感覚を覚え、確認を取る。

 

「いいんですか? もしかしたら結果次第では、ご自身の会社の後継ぎではなくなるかもしれないんですよ? お父様としては——」


 難しい選択なのだろう。最後まで言い切ることができない。

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