第148話
質問されたわけだが、サロメは答えに困る。腕を組んで悩ましげに唸り出した。
「んー、別に。音を聴くと、なんとなく合う部分がわかるだけ。そうじゃない感覚ってのを知らないから、こうしか言えないわ」
やれやれ、と肩をすくめる。事実そうなのだから仕方ない。
見るのは二回目。だがまだ完全にはランベールも飲み込めないでいる。
「……信じられません、けど、実際に見ましたからね。試しに弾いてみますが——」
そう宣言してイスに座る。さてなんの曲にしようか。なんでもいけそうな気がする。目を閉じて浮かんできた曲。それは、シュトラウス作曲『天体の音楽』。
花火、のさらにその頭上。『天体の運行は人間には聞こえない音を発していて、宇宙全体が1つの大きなハーモニーを奏でている』という、ピタゴラスの思想を基に作られたこのワルツ。一九世紀のウィーンに存在した温水プール施設で初演され、星を散りばめた青い絹布で会場全体が覆われていたという。
「へぇ……」
自分が調律を施したピアノなのだから自信はある。いいユニゾン。だが、サロメが驚いたのは演奏するランベール。倍音の広がりがまるで宇宙を表現しているようで。今までに聴いてきたこの曲の中で、一番いい、と納得の表情。
美しく、華やかで、それでいてどこか切なさも感じるシュトラウスの代表曲。音の伸びを意識して弾かれるその曲は、ワルツ特有の跳ねるような明るさと楽しさにプラスして、悠久に続く時間の流れも目を閉じれば浮かぶ。
第五まである曲の二まで弾いたランベールはそこでストップ。瞑想でもしているかのように音を噛み締め、息を吐き、そして振り向く。
「美しい平均律です。ムカつきますけど」
その視線の先にはこのピアノを調律したサロメ。「あ?」と怒りの導火線に火がつく。
「あんたはひと言多いのよ。『平均律です』で止めときなさいっての」
わかってたけど再確認。こいつとは反りが合わない。イライラを隠さず、足の爪先で床を叩く。せっかく架台までして振動を止めているのに。
そこに玄関の開く音。そしてドタドタ、と駆け込んでくる。
「あー、ちょうど終わった感じ? ねぇ、もう弾いていい?」
扉を開き、買ってきた紙袋をランベールに手渡すと、プリシラは息を整えてとりあえず奥の部屋で着替える。元の服装に戻り、イスに座ると舌なめずり。
その勢いに押されて、ルノーはそのまま許可を下す。
「どうぞどうぞ……」
整音、つまりハンマーの固さなどはまだ調整していないが、問題はない、と判断。なにより弾き手の感情を最優先。
なににしようかなー、とプリシラが迷っていると、鋭くサロメが割り込んでいく。
「……ヤニス・クセナキス『ヘルマ』、いける?」
少し言いづらそうに。歯切れ悪く。それもそのはず。クラシック音楽の中でもこの曲は『現代音楽』に区分される曲。古典とは似ているようで同じでない、同じようで似ていない、そんな少し毛色の違いがある。
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