第27話
やっとピアノに話題が移る。最高級のブラジリアン・ローズウッド。木目も申し分なし。伐採に制限がかけられる程、希少価値のある逸品。
《そうですねー、まずはこの木目がチョー可愛い! 可愛くないですかー?》
「やめてよ……」
「終わったら呼んでくれます?」
「逃げるな」
三人も唇を噛んで見守る。
《やっぱリストやラヴェルが愛したメーカーってこともあって、歴史感じちゃいますねー。それと、現代のグランドピアノとは音がかなり違うので、この古き良き音色がなんともいえない風情があって心地いいです!》
やっとまともな応答になり、コメントも『詳しいところもいい』『やっぱ可愛い』と、レスポンスは悪くない。少しずつだが、外がにわかにざわつきだした。何人かが覗こうとしているようだ。ここまでやはり陣営の敷いたレールの上を行っている。
《やっぱり、昔の八五鍵盤って触れることもあんまりないーー》
と、柔らかくグリッサンドした瞬間、サロメが笑顔のまま止まる。
《……ふふっ》
《ん? どうしたの?》
時が止まったような感覚に、思わずパスカルも驚く。
変わらず笑顔なのだが、たしかに笑顔なのだが、奥に邪悪なものを感じるそれを、サロメはスタッフに向ける。
《あれー? 今日は調律だけって言ってたはずなんですけど、整調と整音まだでしたかねー?》
一番近くにいたスタッフに問いかけるが、辺りを見回すだけで答えが返ってこない。そろそろその笑顔は無理があるんじゃないかと思えてくる。
《いや、済んでるはずだけど……なんか変?》
パスカルが代表して応えるが、サロメは納得がいかない模様。
《いやー、なんかレットオフ……ハンマーと弦の間隔が窮屈なのが何個かあるなーって……エヘヘ》
「キレてますね」
「キレてるね」
「キレてるなぁ」
エヘヘは初めて聞いたが、たぶん怒ってる時のやつだと三人は一瞬で理解した。
《す……すごいですね……。そういうのってなんかわかっちゃうものなんですか?》
《そんなそんな! 今、叩いた鍵盤がたまたま音の響きが弱いなーって、たまたまわかりやすいやつに当たっちゃっただけなんで! あたしなんかとてもとても!》
と、サロメは謙遜する。
コメントは『すげー!』『全然わからん』『お前らわかんないの? 全然違ったじゃん』などなど、終始盛り上がりを見せている。
パスカル陣営は「過去一の視聴者数です」と、サロメがキレているのはともかくとして、成功を喜んでいる。
「整調はやっておくようにって言ってたからね。たぶん整音の方もやってないかもね。もしくはやってあるけど、サロメちゃんの感覚に合ってないか」
サロメの鋭すぎる感覚は、かつて一緒に調律をした時にロジェも目の当たりにしている。だからこそ手抜きの整調や整音では自身の力が最大限に引き出せない。それが歯がゆいのだ。たまにわざとなにもしないこともあるけど。
「仕方ないですよ。あれだけ古いと、今のピアノとは違う点が相当ありますからね。ペダルも二つしかないし。悪くないと思います」
画面越しではあるが、ランベールには特に落ち度みたいなものはわからなかった。少なくとも、ひどい状態ではないはず。並の調律師であれば満足するレベルだろう。
そしてその画面越しにサロメがピクピクと、表情筋の動きからフラストレーションが溜まっていっていることがわかる。
《それにちょっと鍵盤が重いカナー、スプリングが強すぎるのが何個か》
鍵盤が重い理由というのは他に、弦を止めるダンパーの不具合や、湿気が原因で木が膨張することなどがある。今回はハンマーの打弦が気持ち悪い。それはつまりレペティションスプリングの異常ということ。
《いやー! すごいですね! さすが調律師さん! たしかに試弾したときに、ちょっと手が疲れるなーって思ってたんですけど、こんな簡単に原因がわかっちゃうんですね!》
事実だった。アクションにはレペティションスプリングと呼ばれるワイヤーがあり、その張力を調整することによりハンマーの打弦スピードが変わる。パスカルとしては「昔のピアノだし、こんなものかな」と考えていたが、言われてみて弾きにくさに納得した。
《そんな! たまたまですぅ! そこも調律前に直しちゃいますね!》
自分のキャリーケースを取りに一度サロメは離れるが、スタッフ間でザワめく者達がいた。正直、サロメは視聴者数を伸ばすためだけに呼んだマスコットであり、本格的な調律は期待していない。スターであるパスカルにケガがないよう、それっぽいことをそれっぽくやってもらうだけでよかった。が、かき回されだしている。
(おい、展示してある店で調整したきたんじゃないのか!)
(しましたよ! そこの調律師がちゃんと見てます! 念のため調律まで終わってるんですから!)
(下手にいじらせるな! パスカルになにかあったらまずいぞ!)
(無理ですよ! コメントでも調律が見られるって盛り上がってます!)
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