ザウター『オメガ220』

第53話

「最近おかしいと思わない?」


 パリ三区。ピアノ専門店アトリエ・ルピアノにて、店長のロジェ・アルトーは神妙な面持ちで、アルバイトのランベール・グリーンに話しかけた。ここのところ、気になって胃が痛い。


「なにがですか?」


 接客が終わり、一台販売できた。喜ぶ暇もなく話しかけられ、ランベールは適当に返す。思い当たる節もない。ピアノ販売も順調、調律仕事も順調、クレームもここのところない、最高の展開じゃないか、とさえ思っている。


「サロメちゃんだよぉ。なんか変わったと思わない?」


 サロメ、という名前が出てきて、苦い顔をランベールは浮かべる。はて? そんな名前のやついましたっけ? と、忘れたい名前でもあるらしい。せっかくのいい気分が少し削がれた。なんで自分があいつのことを考えなきゃならんのだ。


「いや、特に。そこまで気にして見物したいとも思いませんし」


 バッサリとランベールは切り捨てる。まだまだ未熟者、他まで構っている余裕はないことは、自分が一番わかっている。そもそも、あいつと仲良しだと思っていることが心外である。


「絶対変わっちゃったと思うんだよ。うーん、どうしよう」


「具体的にはどう変わったんですか?」


 聞いて欲しそうに言葉を濁すロジェと、あぁ、これは自分で解決できないと踏んで、俺になにかやらせようとしているな、と即座に理解して会話を進めるランベール。滞りなく業務をこなすためには、自分が折れるしかないと深読みした。


「それなんだけど……」


 言いづらそうに、苦しみながらロジェは言葉をひねり出す。「あぁ、でもどうしようかな」と、この場に及んで迷い出し、「よし、言おう」と自己解決。


「まず、グランドだけじゃなく、あれだけ嫌がってたアップライトも請け負うようになった。それから、お客さんの家のお菓子を勝手に食べなくなった。それから、勝手に紅茶も飲まなくなったし、お店のピアノの調律も引き受けるようになったし……」


「店長」


 言葉を遮ったのはランベール。おかしな点を見つけた。


「ん?」


「それ、普通のことです」


「え?」


 どういうこと? とでも言いたげに、二周りは年齢の違う、息子と言ってもおかしくないくらいの年齢の青年に、ロジェはすがりつく。どうやら普通という感覚が、あの少女によって破壊されたらしい。なんて可哀想な。


「むしろ今までがなんでそれで、まかり通ってたのかのほうが不思議です。普通ならクビでしょ、クビ」


 はっ、と我に返って、ランベールの解答を噛み砕いて思い直すロジェ。そ、それもそうかな……と、世の理解と脳が少しずつ一致していく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る