第37話
新しい客層には新しい試みを。どんなものでもいつか廃れてしまう時がくるだろう。それを見越して何か新しく目玉となることをやるということなのか。三代目としてのプライドか。どんなところから調律のヒントが漏れ出てくるかはわからない。ゆえに調律師は会話にアンテナを張るのだ。
特に、パリという多種多様な街では、娯楽にあふれている。古書店というのも、古めかしくていいかもしれないが、マルシェのようにいつも行くものではない。そんな中で、使える手段は全部使う。サロメはそういうのが案外好きだ。
「一応、弾いていいことにはずっと前からなってたんだけどね。調律もほとんどしてないし、このピアノをどうするか悩んでたんだけど、観光客の中には気になっている人もいるみたいでね。いっそやってみようかと」
「なるほど、たしかに眠らしとくにはもったいない名器ですもんね。グロトリアン・シュタインヴェークといえばこれ、この響板。ホモジェナウンスサウンドボード」
と、サロメはピアノの響板を指差す。
ホモジェナウンスサウンドボードは、要約すると『均等な品質の響板』という意味になる。普通、響板は大きいこともあり、木片を繋ぎ合わせて作る。そのため、似ていてもムラが多少なりとも音質に出てしまう。しかしホモジェナウンスサウンドボードは、一本の同じ木の同じ年輪の同じ共鳴度の木片を使うことによって、完璧な音を作り上げる。
現在は技術の進歩によって、品種や樹齢などが違っても同じ共鳴度の木片を集めることが可能になり、希少さは減った。しかし、古い型のピアノはその名残があり、原初から続く響板への飽くなき探究心が見て取れるのだ。
「そんでもってこの打弦点。クロマティカリー・レギュレーテッドスケール。このふたつが最大の特徴といっていい」
打弦点を〇・〇一ミリの単位で調整、最高の音を出す場所を打つ、それがクロマティカリー・レギュレーテッドスケール。調律師による技術がまだ未成熟だった時代、音質でグロトリアン・シュタインヴェークに勝るものはなかっただろう。
「僕はピアノに詳しくないから、おまかせするよ。防音とかなにもしてないけど、ピアノは一階だし、二階もウチの店。角の店だから隣にも迷惑はかからない。要求としては、一応書店だから、ゆったりと落ち着いて店内を見回れるような音量にかつ、せっかく弾いてくれた人達が満足できるような、って多いかな?」
珍しいピアノに興味津々のサロメは、さまざまな角度から観察し、首を横に振った。
「いやいや、細かく言ってくれた方が嬉しいんでね。後から付け足されるよりは、最初っから高めの要求しといてくれた方が、こっちとしても合わせやすい」
言葉通りで、一度調律が終わった後に、やっぱりこういう音色にしてほしいといったものは、全部やり直しになる可能性もあるため、詳しく最初に聞いておきたいのだ。サロメは手は抜かないが、早く終わるならそれに越したことはない。
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