第253話

 博物館、と形容するほうが正しいのでは? そんな感想を抱くパリ最高峰のホテル。一八世紀に建てられたその建物は、現代の美的感覚と融合され、荘厳でエレガント。正面玄関を入ると、コリント式の柱廊や彫刻が出迎えてくれ、まるで異世界に迷い込んだかのよう。


「全く。一体なにをやっていた」


 その豪華なホテルの一室。間接照明に照らされた室内。ベットにはイタリア製のリネンが心地よい眠りを誘う。窓の外に広がるパリの夜景を見つめるグラハム・アーロンソンの感情は薄い。


 光沢感のあるベルベット調のソファー。そこに身を沈めながらカイル・アーロンソンは足を組む。


「なーに。学園生活、ってやつを経験したくてね。僕達は練習漬けだっただろ?」


 幼い頃からピアノこそが遊び相手であり、友達として躾けられた。アイスホッケーやアメフト、バスケに野球というアメリカ四大スポーツは当然のようにさせてもらえるわけもなく。


 だが、声色を変えることなく、闇に沈み込みそうな声量でグラハムは過去を思い返す。


「……お前は充分に遊んでいた気もするがな。体力と英気を養うのも仕事だ。しっかりと休んでおけ」


 今更なにを言っても無駄だろうが。なんでこんな気遣いのようなものをこいつに。ため息になって霧散する。


 しっかり者の兄に全て任せておけばなんとかなる。だからこそ弟のカイルは自由奔放に行動できてしまう。


「でさぁ、今の子達ってピアノの技術はあるけど随分とお利口さんだよね。丁寧に読み込んでる、というか言い換えれば——」


「エッセンスが足りない。ということか? コンクールを目指しているならしょうがないだろう。基本ができていなければ崩すこともできない。ダン・タイ・ソンも『バランスが大事』と言っていただろう」


 唐突にピアノの話になったことでグラハムも反応した。そういうことを議論するのは好き。これからのクラシック界を見据えても、考えなければいけないこと。というか、俺達だって昔の世代、と区切られるほど古くはない。そんな言葉を付け足したくなる。


 バランス。自分の個性と作曲家の意図を絵の具のように混ぜた時、綺麗な色になるのか。濁った汚らしい色になるのか。だが、そんな嫌われる色であってもカイルは愛している。


「僕達は最初からこういうスタンスで売りにいくことが決まってたからね。難しい、敷居が高いと思われているクラシック界を壊すように。だからコンサートやサロンリサイタルで自由にやる」


 今の時代、様々な趣味趣向がある中で、どんなものが受け入れられるのかなんて誰にもわからない。そんな閃きを胸に決心したこと。自分を一番に発揮できる場所はコンクールではなかった。

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