第177話

 自身は楽器全般に詳しいわけではないため、技術者と演奏者両面からの意見にリュカも眉間に皺がよる。


「むぅ……先ほどブランシュさんにも言われたね。だが、いいピアノだからこそ、弾ける人に弾いてもらいたい、というのもある。素人がこれらのピアノに手を出していいものか」


 それに手を出せるほどの技術を備えていなければ、恥ずかしいという気持ちが勝る。作り手に申し訳ないという、後ろめたい気持ち。


 なんとなくわかりますが、と前置きしたレダ。だがそれは間違いだとさらに指摘。


「実はそれはピアノには当てはまらない考えなんです。素人こそいいピアノを使うべき、と僕は考えますね。まぁ、ここにあるピアノはどれも特殊なものでもありますが」


 初めたてでスタインウェイのフルコン。素晴らしい。きっといいピアニストになる。ということを、調律師であれば結論とする。


 全く正反対の定義を持っていたリュカは、目を白黒させた。


「というと? まずは入門用のピアノで、上手くなってきたら徐々にいいものを、という考えとは違うと?」


「はい。言っちゃあなんですが、安いピアノはやる気を削ぎます。まず、鍵盤が重い。音が悪い。もちろん、それでその後一流になったピアニストもそれなりにいるでしょうが、その人達も最初からいいピアノでやるべきだった」


 アスリートが体に負荷をかけて鍛えるのとはワケが違う。できるなら初めて押す鍵盤の一音からでも、より良いものを選ぶこと。それはとても大事なことだとレダは知っている。安いモノは安いなりの弱点。ある程度はお金をかけないと、中途半端で終わる。


 そこへ、楽器は違うがブランシュも納得しつつ、よりその理論を確立していく。


「たしかに。悪い音がスタンダードになってしまうと、いい楽器を弾いた際に全く聴こえ方が変わってしまいますから。ヴァイオリンでもそうです」


 特に幼少期などは耳を育てるのに大事な時期。そこへより良い音を聴かせるのは、その将来にも繋がる。中々、そこまでこだわれる家庭も多くはないが。


 少し放心しつつ、リュカは近くのソファーに崩れるように座った。


「そう、なのか……」


「それにリュカさんの体格。大きな手は、それだけで有利ですからね。あのラフマニノフの手は三〇センチほどあったと聞いています。それに匹敵する」


 身長二メートル近い、歴代でも最高と称されるピアニスト、ラフマニノフ。一三度も届く手となると、相当弾きやすさが違うだろう。もちろん、ユジャ・ワンのように小さな手の実力者も数多くいるが。大きな体はレダのお墨付き。神からのギフトだ。


 自身の筋肉に触れるリュカ。この胸筋。ピアノにどう使えば。


「なるほど。子供の頃からやっていたら、名を残すピアニストになっていたかもね。無理か。ハッハー!」


 そそくさとひとりで否定。そして笑う。そんな「たられば」は考えても仕方がない。

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