第98話

「まぁ、お気になさらず。あいつのことは考えるだけ無駄です」


 きっぱりとランベールは断言できる。考えの上をいく。いい意味でも悪い意味でも。


 となると、ピアノを預けるユーリとしては、当然の気掛かりがある。


「ところで、あいつの調律は信用していいのか?」


 なにやら、ピアノやコンクールに関して知識はあるようだが、調律師としての技術はまた別。なんとなく、まだ信用できてはいない。


 信用できていないのはランベールも一緒。だが、信頼はしている。


「そこは問題ありません。おそらくですが、フランス全土を探しても、あいつ以上の調律師はそういないでしょう」


 悔しいけど。それは事実。


 ならばこそ、ユーリは不思議でしかない。


「……それだけの腕があるなら専属の調律師とか、そういうのは考えていないのか、あいつは。そうすれば経済面でも」


 言ってから、まるで雇いたいみたいな言い方だな、と苦笑した。


「どうでしょう。まだ学生ですからね。聞いたことはありませんが、たぶんないですね。なにか他に目的があるのかも」


 そういえば、まぁまぁ一緒にやってきてはいるが、仕事以外のあいつのことはよく知らない。ランベールは多少ではあるが、気になった。


 なんとなく気まずい。いや、自身の家なのだからそれもおかしい話なのだが、今はピアノを弾く気にならない。そんな時の練習は身にならない。悩むユーリだが、そんな時は決まってやることがある。


「……まぁいい、今日はもうやめだ。走ってくる。キミも頃合いを見て帰宅してくれてかまわない。今日はありがとう」


 取り残されることになるランベールにひと声かけ、出入り口に向かう。敷地内で軽く汗を流す。考えるよりも行動したほうがいい。体力づくりもピアニストには不可欠だ。


「ランニング、ですか? 外に?」


 もうまもなく夕方も一七時。ランベールは外を見たが、日暮れも近づいている。


 しかし、時間など関係ない。むしろ、みながやっていない時間にもやらなければ、追いつくことも追い越すこともできない、とユーリは考えている。


「演奏以外にもできることはたくさんある。凡人ならなおのことだ……キミも行くか?」


 ひとりでやるよりも、追い込むことができるかもしれない。その後の筋トレもセットで。


 そのストイックなところに、ランベールは驚きを覚えた。会って数時間だが、最初よりも人間らしさを感じる。どこかで貴族というものに気後れしていたのかもしれない。


「……いえ、道具もありませんし。それにまだ終わっていませんので」


「そうか」


 そう残して出ていくユーリの背中を見送ったランベールは、「あれ? もしかして結構いいヤツ?」という感想を持ったまま、ハンマーのストップ調整に戻った。

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