第134話
全く期待しないで鍵盤に指を置く。中古だがいいピアノ。なぜか、そういえばショパンコンクールで優勝したラファウ・ブレハッチは、家にアップライトしかない状態でずっと練習してきていたことを思い出す。全然関係ないけど勇気をもらえる。そして弾く。
「……は?」
声が出てしまう。先ほどまでの調律でも、いい演奏はできていたと思う。北欧の夜空。無音の中、輝く星々。鼻も耳も赤く染め上げながら見上げている。
しかし今。あいつが調律した後のこのピアノ。より、まろやかさが足されて、きらめきが増したような。しっとりと。より冷たい空気感を感じられる。それでいて温もりもある音色。そして弾きやすい。倍音も柔らかく、耳に優しい。
「……どうなってんだ?」
普通、あんなやり方では音律が崩れてまともなピアノは成立しない。乱立する音は整わず、濁って聴こえる。はず。だが、明らかに一段階上に引き上がっている。
「……」
どうなってる? ハッ、としたランベールは、サロメの元へ向かう。なんだ、なにがどうなってこうなった? 聞きたいことが洪水のように溢れてきた。すると今度は本当に寝ている。寝息を立ててだらしなく脱力。そこで気づいた。
「……自分が寝るためにやったのか、こいつ……」
俺の調律では満足できないと。音がやかましくて寝られないので、『星はきらめく』専用の調律をすると。自分のためだけに。寝やすいように。なんて勝手なやつ。
だが、それと同時に、あのメチャクチャな調律方法はなんなのか、という疑問が湧いてくる。鍵盤を押して音を確かめることをしない、つまりそれはどういうことか。あいつはどこが止めるポイントなのか、一度音を聴いただけで頭の中で構築できている、ということ……?
「いや、ありえない。そんなヤツがいてたまるか」
なんだか今日の調律のやる気がなくなってきたランベール。仕事をして、飲んで、花火を見て、最後にこれ。色々ありすぎた。覇気もなく、ピアノのイスに座り項垂れる。電灯が眩しく感じてきたため、店奥のみを残して全て消した。外にはまだまだ人が多い。
「……」
なにも考えたくない。今日はもう帰ろう。寝て全て忘れよう。荷物を取るため、控え室に向かう。だがそのためには応対用のソファーを横切らないといけないわけで。嫌でも目に入る。
「……んが……」
熟睡している少女。結局よくわからないまま、初対面の日が終わった。どこで調律を習ったのか。どれくらいできるのか。なぜここに来たのか。問いただしたほうがいいのか。
「よくわかんねー……」
帰ろう。さっさと。と、同時に、こいつをここに残してしまっていていいのか気になる。こいつが盗む盗まないとか、そういう話ではなく。なんか、防犯として。一応、女子。そんでパリ。みんな今夜は興奮している。入り口を壊して入るとか。
高額な商品を扱っていることもあり、セキュリティは万全だ。三区はわりと治安もいいし。うん、やっぱりないだろう。ないない。
「それに帰れって言ったしな。一応心配してやったという事実もあるし。それで帰らなかったこいつが悪いだけだし。というか、なんでここに泊まろうと思ったんだこいつ」
外を見る。バーなどを筆頭にまだまだ空いている店も多い。人が多いほうが犯罪は多いのだろうか。それともやはり少なくなってから?
「……」
熟睡するサロメを一瞥する。初めて来た場所でよく寝れるな。というか、男が普通にいるところで無防備に。俺じゃなかったらなんかされてても知らんぞ。
「……ぐ……」
なんか苦しそうな声が聞こえた。ソファーなんかで寝るからそうなる。こいつ。レダさんより上手いとか……ないよな? 曲芸はできるのかもしれない。だが、それよりも純粋な実力は。こいつはどれほどのものを持っている?
「……」
色々考えていたら眠くなってきた。帰るのも面倒。明日の朝、調律しよう。起きたらこいつに聞いてみよう。もうなにも考えたくない。だからここで寝る。
泊まるつもりだったので、持ってきていた歯磨きセット。控室のシンクを借りて使用。スッキリ。したところで相対するソファーに寝そべり、ランベールは電灯を気にせずそのまま目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます