第131話

 明日は休み。夜更かししても問題はない。ランベールにとってやりたいことを気兼ねなくできる至福の時間、午前〇時。社長と店長に許可は取った。労働ではないため、労働監視局もなにも言えないだろう。家ではないことは言われそうだが、その時はその時。それまでは集中。だが。


「じゃ、あたし寝るから。あんま騒がしくしないでね」


「……じゃあ帰れよ」


 準備よくアイマスクを用意していたサロメは、電灯を気にせずソファーで寝ようとする。それに対してランベールは至極真っ当に提案。ここはアトリエ。寝る場所ではない。


 黒一色のアイマスクをびよーんと伸ばしながら、サロメは驚いたように目を見開く。


「まっ! 深夜のパリに女子ひとり放り出すとか、モテないわー、モテない」


 それだけ文句を言うと、再度おやすみ。空調のある場所で寝ることの快適さ。


「ここまでひとりで来たんだろ。問題ないな。もしくは店長とかと帰れば良かったろ」


 完全に邪魔をされる形となったランベール。顔合わせは済んだといえば済んだのだから、もういいだろう。整調ならともかく、調律を心いくまでやりたかった。なのに「静かに」と言われても知らん。


 だが、最初から寝ること前提でここに来たサロメにとっては、まさかこんな時間にピアノをいじられるのは誤算でしかない。夜更かしは美容の大敵。


「あんたが帰りなさいよ。調律なんて明日やりゃいいじゃないの」


 絶対こいつとは反りが合わない。初対面で確信した。


 その主張もランベールはわかる。が、譲れないものもある。


「いい感覚のまま、忘れないうちにモノにしたいんだよ。邪魔すんな。子守唄でも弾いてやるから」


「子守唄ぁ?」


 子供扱いされたことに若干の腹は立てつつも、面倒になってきたサロメは放置してみる。


 嫌がらせを含みつつ、店内に規則正しく置かれたアップライトピアノの中でも、一番ソファーから近いものを選び、ランベールはイスに座る。ヤマハの『UX-10A』、数日前に整調から整音まで、ひと通りやらせてもらったもの。自信はある。


「じゃ、頑張って寝ろ」


 それだけ伝え、指を鍵盤に置く。力は最小限。優しく、優しく。子守唄なんだから。


 そうして始まる、非常にゆったりとした演奏。パルムグレン作曲『星はきらめく』。フィンランド出身、北欧のショパンとも称される彼のこの作品は、とてもシンプルで美しい夜想曲。白い息を吐く、その眼前に無数の星空が広がっているかのような、心に染み込んでゆく。


「……」


 目を閉じ、音を拾うサロメ。幻想的でもあり、まるで季節も環境も正反対のパリの夜に舞い降りた風花。その脳内でピアノが構築される。

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