第179話
その曲。全ての基本となる曲。迷いながらもブランシュは肯定。
「はい、大丈夫、ですけど……」
いいんでしょうか? そんな続きが聞こえてきそうな声色。いきなり中心に立たされたようで、地に足がつかない。
だが、頼み込んだ当のリュカは、先ほどからワクワクが止まらない。今までのように、調律してハイ終わり、とはなぜかならない。なんとなく、今日来てくれた人達は、自分を興奮させてくれる。
「曲名とかはよくわからないけど、じゃ、お願いします」
立ち上がり、大きく息を吸うリュカ。さて、どの——。
「いや、ポーズはいいですから……」
しかし先読みしたブランシュに防がれる。依頼主じゃなきゃ訴えたいところ。
服を直しつつ、リュカは、
「……そりゃ残念」
と、怒られた子供のように小さくなる。今ひとつ調子が出ない。
気を取り直してブランシュはヴァイオリンを構える。初めて弾く場所。空間。だが、なにも変わらない。ピアノの音に集中して、自分の音を奏でるだけ。
演奏が始まる。まずはピアノによる、哀愁の漂う伴奏。その途中からヴァイオリンが入っていく。派手さはないが、聴きごたえのあるソナタ形式の単一楽章。まず気をつけるのは、出だしの四分音符の三分割。リズム。ソルフェージュの感覚がモノをいう。
そしてすぐに重音部分。音の高さに気をつけなければいけないし、それ以外にも難所はところどころに隠れている。だが、それすらも楽しむように。音をしっかりと捉えながら、自信を持って弾くこと。弾きながらブランシュは手応えを感じる。
(やはり、悩んだら一度、この曲に立ち返るのも大事な気がします。がむしゃらに前に進む勇気もありますが、原点に一度リセットする勇気も同じくらい、大事なのではないでしょうか)
伴奏ゆえに、レダもヴァイオリンをしっかりと聴きながらピアノを弾く。クリスタルピアノ。思ったよりも弾きやすい。たしかに違いがないこともないが、その違いも込みで面白い楽器。だが、それ以上に気になること。
(やはり、前回も思ったが、ヴァイオリンにそこまで詳しくない僕でもわかるほどに上手い。コンクールなどには出ていないようだけど、どうやって教わってきたんだ?)
それにしてもこの吸い付くようなタッチ。自分の仕事ながら素晴らしい。
ベルギー出身のフランス人ヴァイオリニスト、ジャン・バティスト・アッコーライによる『ヴァイオリン協奏曲第一番イ短調』。この曲の共通認識として、今後出会うであろう、より難しい協奏曲のための練習、という位置付けにある。
ヴァイオリンを弾く上で必要になる基礎的な技術を盛り込み、ところどころ見せる難しさが飽きさせない、不朽の名曲。重音奏法、フラジオレット、スタッカートなど様々な技法が絡み合い、転びやすいリズムも随所に顔を出す。
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