第145話
またわからないことが増えた気がするランベール。流石に自分には荷が重い。
「リヨンから来たって言ってましたけど。でもパリ出身だと。なにが正しいんですか?」
全部嘘という可能性も。なんせまだ話もまともにできていない。それに調律。おそらく、腕はいい。観察力もある。だがどうやって磨いてきた? 道具も持たず。どんな学習法で培ってきた技術だ?
ふむ、と噛み締めるルノーのため息は重苦しい。
「パリ……あいつがねぇ……なるほど。ま、お互いに利用して利用されて、っていう仲でいいんじゃないかい?」
自身も『やってしまった』感はある。ちょっと呼び寄せるのが早かったかな? と反省。だが、腕の立つ調律師が増えてくれれば、そのぶん店も潤う。リスクリターン。今のところリスク強め。
その提案にはランベールは断固拒否。巻き込み事故の程度が激しそうだ、というのはすでに理解している。
「嫌です。なんですか利用って。なんか秘密でもあるんですか?」
というか秘密しかない。明らかになっているのは名前くらいなもの。名前も怪しい。奥歯を噛み締める。
「あるよ、そりゃ。隠し事。そんなに知りたい?」
ニヤっとルノーは顔色を覗く。なんといっても同年代。異性。そういう年齢だ。少しくらいは——
「今んとこ興味ないです」
あっさりとランベールは否定。なんて無駄な会話。
話を戻しつつ、さらに思い出したことをルノーはポツリと口にする。
「……エストニアなんだがな、ロシアの音楽院ではポピュラーに使用されているピアノでな。ロシアピアニズムを正しく表現できるのはエストニアだけ、と主張するプロのピアニストもいるくらい、最高級の性能を持っている」
そう考えると、目の前のグランドも少し大きく見えてくる。可愛らしいサイズの『クイーン・アン』。その正体は誇り高き女王。
一旦は鍵盤とアクションを戻し、左手の感覚に集中しながらランベールは軽く弾く。
「らしいですね。俺も昨夜より詳しく調べました。ロシアというとスクリャービン、ホロヴィッツ、アシュケナージなどの世界的なピアニストを何人も輩出している大国だ。彼らもおそらくはそれで練習してきたんでしょう」
口棒と拍子木は外したままなので、違和感を感じたり、もう少しレスポンスが欲しいところなどを微調整。戻す、を繰り返す。しながら、ロシアのピアノについて考える。
一九世紀にアイルランド人のジョン・フィールドがジュ・ペルレというフランス生まれの奏法を持ち込んだことで、ロシアに広まっていったとされているロシアピアニズム。真珠のような輝きを持つ、という意味。まさに継承者のピアノは輝きを放ちながら跳ね回る。
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