第207話
高いオクターブの鍵盤をポロンポロンと鳴らしながら、調律の意図をサロメは語る。
「あんたの指。いわゆるスワンネック変形。一般的にはピアノには向かない、なんてまとめられることの多いものね」
ギチギチと自身の指を折り曲げてみる。第一と第二の関節は連動して屈曲する。
しかしキアラの指は同じように折り曲げると。第二関節は反り反り、第一のみ屈曲。まるで白鳥の首のように曲がることからスワンネックと呼ばれる、リウマチによる変形の一種。伸筋力と屈筋力のバランス異常により起こる症状。
遠い過去を見通すような目で、キアラは天井からのライトに指をかざす。白鳥の影が映し出される。
「よくわかったね。昔、ピアノを習ってる時に『ピアニストには向かない』って言われてね」
スワンネックはその指の形ゆえに、高速のパッセージやトリルなどに不利と主張する者もいる。作曲家や曲によって指を曲げたほうが弾きやすい場合や、その逆などもある。なのでどちらも使いこなすための障害となりやすいのだ。
とはいえ、そんな常識もサロメにとってはどうでもいい。スワンネックにはスワンネックにしか出せない音を追求するだけのこと。
「別に不利でもなんでもないと思うけどね。ブラジルのピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンスは右手の指三本に麻痺が残ってもピアノを弾き続けたし、最終的に二四回も手術をし、生体工学グローブを着用してピアノを弾いた」
なんていう奇跡のような人物もいるわけで。まぁ、麻痺の原因がピアノの弾きすぎとかじゃなく、休日にサッカーして転んだ結果、というのもまた愛らしい。映画にまでなっちゃってるし。
流石にそんな伝説的なピアニストと比べられても。言葉に詰まりながらもキアラは自分の選択が間違っていたとは思わない。
「……たしかに私の場合はそれに比べたらぬるいけど。趣味で弾くくらいがちょうどいいってわかったから。このおじいちゃんのピアノで」
家では弾くことができないから。せっかくなのでオーナーに頼み込んで置かせてもらったボールドウィン。ピアノは弾かれてこそ。いいものはみんなに自慢したい。調律はサボってたけども。
あまり流れてくることのないメーカーの逸品。合点がいったサロメは少しスッキリ。
「やっぱりね。あんた、イタリア系アメリカ人ね。弾く曲もジャズがメイン」
ジャズピアノでは音の歯切れの良さを重視することもあり、あまりペダルを使わないピアニストも多い。ペダル裏の突き上げ棒に噛ませてあるフェルトの消耗具合から、そんな気がしていた。
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