第151話

 翌日夕方。


「あのあと? オヤツ食べて、ご飯食べて……シャワー借りて、寝た。あ、あと買い物行ったわ。それぐらい?」


 アトリエに来るまでに立ち寄ったパティスリーのパンを齧り、ソファーに深々と座りながらサロメは昨日のことを回想。あとなんかあったっけ。あ、このパン美味い。


 非常に大事なことが抜けていることに、反対のソファーに座るランベールはすぐに気づいた。むしろメイン。


「……調律は? プリシラさんに合わせるって言ってたろ」


 昨日はそのためにこいつだけ残ったはず。そうでないのであれば、聞く限りただ遊んだだけとしか判断できない。ピクピクと表情筋が痙攣する。


 目を瞑り、なんだっけそれ? サロメは思い返すと、うっすらとそんなこと言ったような気もしてきた。


「あー、はいはい。お酒飲んで気分がハイになったら、お互いどうでもよくなっちゃった」


 ならしょうがないよね? ピアノに一番重要なものはパッションでしょ? と、今考えてとってつけたような理由をでっち上げた。あ、このパンも美味い。


「お前な……」


 呆れよりもほんの少しランベールは怒りが勝ってきた。ピアニストあっての調律師。まだ完全ではない状態でピアノを放棄したことになる。


 しかしあっけらかんとサロメの自由度は増していく。


「まぁしばらくはあの家にいるし、必要になったら調律するわ。問題ないでしょ」


「いる? どういうことだ?」


 話があらぬ方向に飛び、困惑するランベール。首を傾げる。


 そしてサロメによる答え合わせ。


「言ったでしょ、まだこっちに住むところがないの。だから誰かの家に泊まるしかないじゃない。ここ、シャワーないし」


 あればここでよかったが、ないので泊めてくれる人のところへ。辻褄は彼女の中で合っている。


 そこにエスプレッソを飲みながら社長であるルノーが乱入。


「調律はかまわんが、しっかりと料金はもらえ。技術は安売りしない。それがここのアトリエのモットーだ」


 初めての教育は、ここの決まりごと。最高の音を追求し、その対価はしっかりともらう。調律の技にはそれだけの価値がある。


 それは言われなくてもサロメには百も承知。ずっと言われ続けてきたこと。


「しないわよ。あたしの調律は安くない。なんだったら一番高くていいわ。どんなピアノでも調律する」


 それだけの力はある、と自負している。責任も。ピアノは調律次第でそのピアニストの将来を決めることもある。それら全てひっくるめて、自分にできる最高の音を。


 確認ができたルノーは、ひとまず安心。となると、やらなければいけないことも。


「そうか。なら道具くらい自分のを持て」


 人のを借り続けるというのはアトリエでは今後は緩やかに禁止。できるだけ自分専用のを持って、責任感とセットで仕事に向かうこと。控室に一旦戻り、持ってきたものは、かなり年代物のキャリーケース。それを差し出す。

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