第46話
「……ちゃん、サロメちゃん!」
「……え?」
唐突に集中が切れ、サロメの目に光が差し込んでくる。周りを見渡すと、本の山が視界に飛び込んでくる。一度、深く深呼吸をする。
「大丈夫? ほら、血出てるよ」
そう言って、ハンカチをマチューはサロメへ手渡す。
彼は焦りのような色の目をしており、一体どうしたんだろうとサロメは首を傾げた。一体いつの間に。用事は終わったのだろうか。
「血?」
そういえば血、と彼が言っていたのを思い出し、サロメはハンカチを受けとる。どこから血が? 調律中にどこかぶつけたか? と探るが、どこも痛くない。と、顔に触れた瞬間、ぬるっとする。鼻だ。
「鼻血て……恥ずかし」
子供の時以来に出した血を拭き取り、「後で返します」とマチューのハンカチをサロメはポケットにしまった。なにかにのぼせてしまったかな、と自己分析。
「もう一八時だよ。お腹空いてない?」
「お腹……たしかに」
そうマチューに言われて自分のお腹の空き具合をサロメは確かめたが、さっき食べたはずなのにもう空いてる、と感じたところで、異変に気づいた。
「って一八時?」
たしか一五時のおやつを食べてから整調して、そこから調律に入ったから……
「ニ時間近くも潜ってたのか……そりゃ疲れるわ」
とサロメは乾いた笑いをした。まるでまだ数分しか経っていないような体感だったため、調律がどこまで、何周終わっているのかがわからない。明日も続きをやらねば。
「それでどう? いけそう?」
「問題ないですけど、さらにこの後のハンマー調整がまた時間かかりそうで。今日は終らないですね。音はあまり出さないので、明日も調律を営業時間中でよければ、やりますよ。あまり人を近づけないでもらえれば」
そうしなければあの女性を裏切ってしまう。サロメはできるだけ早く進めていきたかった。
「それはいいけど、大丈夫? さっき鼻血出てたし、また後日にした方が」
「調律は狂いやすいので、早めにやっちゃいたいんですよ。楽しみにしてくれてる人達もいるでしょうから。明日来ます」
そう言ってサロメは笑顔を作った。
「そう……? 無理しないでね……」
やはり心配なマチューは、難しい顔をして考え込む。とりあえずアトリエには一本電話を入れておこう。ピアノよりも人間の方が大事だ。
「大丈夫でっす。若いんで。食べれば治りますって」
それより食事は? と、マチューを安心させようとサロメは笑顔を無理に作った。
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