第15話

ランベールは胸に手を置き、


「そう、おそらく次に調律してくれる、今回でいえば我々のために、土台となる準備をしてくれていたかたこそ、一時間半でここまでできました」


「あたしの腕ね。あんただったらもっとかかってるわ」


 「あ?」と、また火花を散らす二人を横目に、メラニーは少し反省しているようだ。


「……もっと専門家の意見に耳を傾けるべきだったわね。たしかに言っていた気がするわ、もっと時間をくださいと。プロなんだからできるでしょって突っぱねてしまったわ」


 「気を落とさないでください」とランベールはフォローする。


「大きく言ってしまえば、限られた時間と料金で、限られた仕事しかできないと、この国の職人の腕は錆び付いていくだけです。現状、不景気などもあって、どうしてもそうなってしまうのは仕方ないことなのかもしれませんが」


 若干うつむいて、しみじみと今の世の環境をランベールは心苦しく思う。技術を伸ばしたくても伸ばせない現状。それが日に日に近づいてきていることは、世界的な問題なのかもしれない。


「だけど、アトリエ・ルピアノではそんなことはさせない。しっかりと報酬はもらう。そのぶん仕事はちゃんとする」


 強い眼差しでサロメが訴えてくる。迷いのない目をしている。


「なるほどね」


 フランスの未来は案外、明るいのかもしれない。そんな期待をメラニーはこの少女から抱いた。だってこんなに、相手のことを考えてくれる若者がいるのだから。


「わかりました、改めて先程の見積もりでお願いいたします」


「承知しました」


 安堵の笑みをランベールは浮かべた。長かった一日がやっと終わる……そんな喜びも含めて。


「それに」


「?」


 悪戯な笑みを浮かべてメラニーはサロメを見やる。


「紅茶とお茶菓子焼くのも好きだもの」


 ニンマリとサロメは笑顔になり、肘でランベールを小突く。


「お! 指名されちった。まぁ、あんたも部下として手伝いなさいよ」


「ちょっと来い」


「おぉ!?」


 小突いてきたサロメの肘を掴み、メラニーから少し離れたところでランベールは追求した。


「お前、わざと最低音のオクターブの調律と整音やってないだろ」


「なにを言うかね」


 しらばっくれるサロメを無視して追求はさらに続く。


「オー・シャンゼリゼは最低音のオクターブは最後の一音以外使わない。全部きっちりやったと見せかけて、時間短縮しやがったな」


 はて? とどうしても知らぬを通したいらしいサロメは、もう仕事モードをオフにしている。頭にはスイーツ。ケーキ。マカロン。


「気のせいじゃない? 満足してもらうことが第一なら、叶ってるわけだし問題ない問題ない」


「二時間てのも嘘だろ。元から一時間半でいけたはずだ。自分の腕をあえて高く見せるような真似しやがって」


「そのほうが感動的でしょ? どうせすぐ全部やるんだし、いいじゃーん」


 サロメはそっぽを向き、もう話すことはない、と拒絶する。


 

「認めやがったな」


「女の子いじめんなよ、だからフランスの男はー」


 怒りでピクピクしながら、ランベールはメラニーの所へ戻り見積もりの最終確認をする。


 窓にもたれかかりながら、サロメはパリの街並みを見下ろす。人々は温かい部屋の中で、温かいスープを飲みながら、今日こんなことがあったと、家族で語らうのだろうか。


 窓ガラスには小さく反射したガヴォーのモデルT。調律すればさらに素晴らしい音色になるだろう。きっと、この先も愛されて成長していくピアノだ。


 もう一度窓の外を見る。遠くには八区の凱旋門が見える。


 いつかきっと、そうサロメは約束した。

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