第264話

 そしてそれは言い出したグラハムも同じ。


「スメタナやヤナーチェクなどもいるが、有名でいうとそうだな。彼がアメリカに来て、この国に秘められたエネルギーを基にして作曲したものが『新世界より』」


 そう言うと、そのまま誰もが聴いたことのある第四楽章を弾き始める。エネルギッシュに。見渡す限りの荒野を。列車が走り抜けていく。そんな力強い音。


 偶然にも、少し前にこの曲を友人のベルが弾いたのを、ブリジットは聴いていた。それともまた違う、荘厳なドヴォルザーク像。


「……すごい」


 単純に。軽く弾いただけでもわかる。圧倒されるピアニズム。世界。垣間見える瞬間。だが。


「俺には才能がない」


「……え?」


 弾きながら、まるでブリジットの感嘆を否定するようなグラハムの独白。指はそれでも止めないが、どこか哀愁が漂ってくるよう。


 さらにグラハムは言の葉を続ける。


「天才、という言葉は好きではない。が、悪口というわけでもないから言わせてもらうが、カイルは天才だ。俺は……よくて秀才、というところか」


 口元が綻ぶ。嘲笑、というわけでもない。ただの憧れを口にしたような。本人の前では言えない。


 とはいえ蔑まれたとしても、まだまだいち学生でしかないブリジットには、雲の上の存在であるわけで。


「そんな、でもこうやってツアーもやって、チケットも完売で。それで……才能がない、とか……」


 自分が悲しくなってしまう。将来の夢がピアニスト、というのであれば、まさに彼のやっていることこそがピアニストの理想型。お金を稼いで。知名度もあって。録音して。販売して。サインを求められて。弾きたい曲でみんなを喜ばせる。


 言われてみれば、たしかになんだか上からマウントを取っているように聞こえなくもない。今の状況、冷静にグラハムは見つめる。


「……少し、ツアーということで緊張しているのかもな。いいピアノだ。カイルが褒めていた。あのサロメ・トトゥという少女。偉そうだとは思っていたが、これだけの腕があれば偉そうにしたくもなる」


 くくっ、と思い出して笑う。それほどまでに、非常に弾き心地がいい。毎日、こうして高揚するような気分でピアノに触れられたら。


 ここでその名前が出てきたら。かつてアドバイスされたことをブリジットは思い出す。


「彼女は……サロメからは『ショパンの弾き方はショパンに任せたらいい』『もっと遊べ』と、言われました。まだその答え、出ていなくて」


 遊ぶ。遊べってなんだろう。ふざけたり、雑にやったりするのではなく。その時はスッと気持ちが楽になったのだが、時間が経つとまた『遊ぶ』という行為がわからなくなる。

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