第96話

「ちゃんとした先生、というならチャイコフスキーコンクール優勝はちゃんとしすぎでしょ。コンクールでもブリュートナーのピアノを、あのヴェロニカ・ミューエの子供が使うとなれば、ドイツの本社から専属で調律師が来るだろうね。他の参加者も、みんなあのブリュートナーを選ぶかも」


 それほどまでにブリュートナーは、最高の音を放つことができる。サロメは確信を持つ。コンクールで使うピアノ選択。平等を期すため、もちろん他のピアニストもブリュートナーに触れることができる。そこでその輝きに気づく者は必ずいる。


 信頼できる人物に聞きたいことが、ヴェロニカにはあった。

 

「探偵さんから見て、あの子が優勝する確率はどれくらい?」


 自分にはもう測れない。だから、臆することなく言ってくれる人の言葉を信じたい。それがこの調律師。


 冷静に見積もるサロメだが、何度やり直しても答えは変わらない。


「音楽に絶対はない。優勝候補が一次や二次で落ちることなんてよくあること。とはいえ、当日にリヒテルやラフマニノフが憑依でもしない限り、ゼロに近いでしょうね」


 いや、あたしへの態度も含めてマイナスにしてやろうか、と考えたが、ヴェロニカ・ミューエに免じてゼロ。なに、礼には及ばん。


 不満、というわけでもないが、左右非対称の顔をヴェロニカは作る。


「その理由はどんなの?」


 予想通りというのと、認めたくはない、という感情の中間のようだ。


 その問いにもサロメは、あっさりと応じる。


「少ししか聴いていないけど、結局あなたの劣化したコピーでしかない。優勝する人々はみな、その人のオリジナルがある。作曲家の想像を超えた、その人の個性が。それが彼にはない」


「あなたが調律をすると、優勝はできる?」


 矢継ぎ早に問答となるが、ヴェロニカとしても、なにかいい点があればそこを伸ばしたいもの。サロメの意見が欲しい。


 とはいえ、サロメにも当然限界はある。


「あいつにも言ったけど、腕まではどうしようもない。優勝候補が全員ミスして、他の参加者もレベルが低ければファイナルまでいくかもね、程度」


 すっかりご意見番としてが板についたサロメは、よりリラックスして深くソファーに沈み込んだ。


 ふぅ、とひとつ、ヴェロニカは息を吐く。


「まぁ、妥当ね」


 満足、しているわけではないが、現状を正しく把握できて落ち着いた。やはりか、と。自身の甘さが招いた結果だ、と自責の念。


 柔らかなソファーに包まれ、眠気が増してくるサロメだが、数秒してその場の沈黙を破る。


「だけど、あなたと肩を並べる方法はあるっちゃあるね」


 そして、立ち上がる。


「そのために、あなたには苦しんでもらうことになるけど」

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