第110話

 週も明け、また日常が始まる。学校で授業を受け、放課後には新しいスイーツを求めて歩き回る日々。


「それはミス。貴族生活を捨ててしまった」


 パリ一三区といえばヨーロッパ最大の中華街。アジア系の居住民も多い。都会的なビルが立ち並ぶ街並みを歩く二人の少女。アラブ菓子を求めてここまで来た。そのうちのひとり、ファニー・ダリューはサロメ・トトゥに向かってダメ出しをする。


「ぐぬぬ……まぁ、顔も悪くなかったし、金はあるしで迷ったんだけどね。高飛車なのがネックね」


 相変わらず自分のことは棚に上げ、サロメは悔しがる。貿易会社社長なら、スイーツ店で『ここからここまで』ができるのに。財布と相談しながら諦めることもない。


「さらにピアノが上手い。完璧。私なら両親から取り入るね」


 まるで家ごと支配しようとしているかのようなファニーの口ぶり。詳しい情報がもらえれば、今から四区に向かうことも躊躇いはない。


 しかしサロメは一部、ファニーの発言を訂正する。


「ピアノはまだまだね。あたしぐらいになるとね、見ただけでその人がピアノ上手いかどうかわかるのよ。背中にビリビリ、ってね。でまぁ、あいつは……まぁ……たぶん」


 ユーリの音を思い出すが、ちゃんとした調律での演奏を聴いていないことを、喋りながら思い出した。まぁたぶん、ダメダメでしょ。このあたしが言ってるんだから。


 そこにファニーが鋭く入り込んでくる。

 

「歯切れ悪いね。いつもなら『次に会ったら地中海に埋める』くらい言ってるのに」


「……せめて『沈める』くらいにしといてよ……どんだけの深さよ……」


 相変わらず、ファニーの思考は読めない。つい地中海の深さを検索してしまった。最大で五キロメートル超。うん、無理。


 (……いや、なんか、こっちのほうが落ち着く。貴族の家もいいけど、やっぱりこっちだわ)


 全部買うのもいいけど、シェアしあって感想をネットで検索して。思っていたものと違って、そのネットの感想に愚痴を言ったり。列に並んで買って、どこか公園で広げたり。


 と、サロメが感傷に浸っていると、はるか後方で、散歩する大型犬と戯れるファニー。いつもいつの間にかいない。だが、今は食欲のほうが大事。


「ったく、早くアラブ菓子食べに行くよ。もうお腹空いてるんだから——」


 と、どこまでも続くビル街の前方から歩いてくる、あちらも二人の少女。まさに今から行こうとしているスイーツ屋の袋を持っている。


「どこに隠しても、私は見つけるからね」


「……常に持ち歩きます。諦めてください」


「とか言って、私のために置いといてくれるんだよね、優しいなぁ、——は」


 と、仲良く横を通り過ぎていく。サロメは横目でそれを追いかけるが、同じ年齢くらいか、と適当に予想した。名前を呼んだようだが、どうでもいい。そして。その瞬間。


「——!」


 今までに感じたことがないような衝撃が、サロメの背中に走る。え、これは、あれだ、いや待て、そんなバカな。


 立ち止まるサロメの元へ、急いで走ってきたファニーが追いつく。急いでというが、息を切らしていない。


「……はぁ、はぁ。ごめんごめん。あのワンちゃん、プードルだったから、本当に毛が抜けないのか試したくて……ってどうしたの?」


 嘘くさく肩で息をする。が、なんだか異常を察知。ケロっとして、現状を把握しようとする。そして、ひとつ思いついた。


「もしかしてちょうど言ってた、ピアノ上手い人いた? 今、通り過ぎた二人? どっち? ブロンドのほう?」


 ……ブロンド? いや、ブロンドのほうじゃ、ない。たぶん、違う。


「違う、ってことは隣の黒い三つ編みの子のほう? サインもらっておいたほうがいい?」


 ……黒髪、うん、きっと、そう。彼女は一体……? もしかしてヴェロニカ・ミューエよりも……?


「え、いや、でも違うんじゃない? だってほら、あの子——」


 名前、そうだ。さっき、ブロンドのほうが名前言ってた。思い出せ、名前、名前。そう、たしか——


「ヴァイオリンケース、持ってるよ」


 ブランシュ、と呼んでいた。


 



 NEXT エストニア『ザ・ヒドゥンビューティ』

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