第163話

「あ、そうだそうだ。それと。どう?」


 本来の目的を忘れていたニコル。帰る寸前のところで思い出し、冷や汗をかく。


 その目線の先のブランシュは、内ポケットからひとつ取り出した。


「このために来たんですよね? 出来上がっています。直接あの方へ?」


 半透明な薄く黒い瓶のようなもの。その中には液体が入っているようにも思える。それをそのまま手渡す。


 恭しく受け取ったニコルは、眼前で様々な角度から観察。恐怖と興奮の入り混じったその瞳。


「いーや。ちょっと寄るところがあってね。先にその人のとこ行ってから。そのまま置いてくるよ」


 そろそろ規模が大きくなってきた話。一度『外側』からの声が聞きたい。となるとあの場所へ。


 相変わらず全貌が見えない妹に用心しつつも、ブランシュは頼むことしかできない。


「……わかりました。よろしくお願いいたします」


 自分には作ることだけ。その先は手の届かない場所。深く考えても仕方ない。


 その取引現場を目撃したレダ。やり取りのブツに引っかかる。


「それは? 香水のアトマイザー?」


「そ。あれがあの子の共感覚。クラシック曲を香水に、ってヤツ。あのアトマイザーの中身は、曲そのものになっている、って話よ」


 自分でもなにを言っているのだろう、という感覚はサロメにもある。音に関しては多少は自信はある。が、あのアトマイザーは未知の領域。睨むように視界に捉えていた。


 どんどん知らない世界が広がっていくレダの目には、それら全てが刺激的に映る。


「へぇ。ちなみにあれはなんの曲?」


 つまりはあの中に脈々と受け継がれてきたクラシック曲が、形を持った状態で存在しているということ。ショパン? リスト? ワーグナー? 予想の時点でもう楽しい。


 すでに内容を把握しているサロメが、その中身を伝えようとする。


「あー、アレはサ——」


「おっと! それ以上はこっちが必要になってくる情報だねぇ」


 いやらしい笑みを浮かべたニコルは、親指・人差し指・中指を擦り合わせる動作。どんどんと大袈裟に動きが大きくなる。


 それを確認し、なるほど、と納得したレダは頷く。


「仕方ないね。はい、どうぞ」


 と、懐から板ガムを取り出し、それを手渡す。コーヒー味。微糖くらい。


 受け取り、パッと表情の明るくなるニコル。これだよこれ。


「ありがとー、つい口が寂しくて……って、いや『ホームアローン2』かッ! 一応もらうけど。あ、美味い」


 表情筋も忙しい。文句を言いつつも美味しくいただく。ガムといえばミント系が一般的だが、コーヒー味、侮り難し。あとで見かけたら買おう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る