第104話

 だが、奥の手でもあるかのように、サロメは余裕を見せる。


「そーんなこと言っちゃっていいのかな? あたしは了承を取ったんだけど」


 怪しい笑みで惑わせにかかる。驚く顔が目に浮かぶ。


「……なに?」


 訝しむ顔で、ユーリはその言葉を咀嚼した。誰が? なにを了承した?


「……俺もよくわかってないんだが……」


 ついでに呼ばれたランベールも困惑する。息子は半ギレだし。もうなんなの。


 完全には理解できていないユーリとランベールをよそに、澱みなくサロメは策を展開していく。


「こういうこと」


 その言葉と共に出入り口のほうを見る。すると、ひとりの女性がタイミングよく入ってきた。


 そこに立つ人物にランベールは驚愕する。


「え……え……?」


 見覚えがある。六大会前のチャイコフスキーコンクール優勝者、ヴェロニカ・ミューエ。引退してから数年経っているため、少し見た目は変わってはいるが、それでも面影がある。間違いない。『ブリュートナーの女帝』が目の前に。


 次から次へと驚きが訪れ、ランベールは頭が真っ白になる。


「え、いや、なんで——」


「……母だと言ったろう。どうしたんですか、こんなところに。それとこのピアノは」


 目が点になるランベールを放置し、ヴェロニカとの会話にユーリは移る。毎日会っているのだから驚きはあまりない。ここにもよく来る。が、ピアノを含め、いつもと違う雰囲気に、緊張が走る。


 たっぷりと間を使い、ヴェロニカは自身を落ち着ける。そして静かに口をひらいた。


「それは私が頼んだの。サロメさんに調律をお願いした」


「……そんな馬鹿な…!」


 自分がいくら言っても、ピアノを弾くというリクエストに応えてくれなかった母に、まさか昨日会っただけのコイツが……! 信じたくはない憎悪と、応えてくれた喜び。少女に対する憎悪が勝つ。


「……なんてことを……!」


 うなだれてユーリは拳を強く握る。先を越された、というのではない。負けた、と強く認識する。負けた? なにに? 誰に? ただ話してほしかっただけ。もう、ピアノで苦しむ姿を見たくない。こんな形を望んでいたわけではない。


「……」


 誰かに怒るのはお門違いだと、ユーリ自身もわかっている。だが、どうしたらいいのかもわからない。

 

 静まり返る空気を破るように、ランベールはこの場の流れを確認する。


「……で、なんでここに持ってきたんだ?」


 それが問題。弾くだけなら、元あった場所でもいいのでは? そんな疑問を解決するべく、発案者のサロメは次のステップへ移行する。


「じゃ、『クイーン・ヴィクトリア』をプリモにするから、ランちゃんはそっちで基音、よろしく」


 そう告げ、『モデル1』の調律に入ろうとする。

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