第68話
そして、試験官が弟子入りをする前に特に注目するポイントが、技術などよりも『可能性』だと言われている。いかにそこをアピールするかが重要になってくる。のだが、当然ミスタッチなどはないに越したことはない。
(なるほど、コンヴァトに入る前に、師事する先生をあてがうテストなわけね。ここで認められなければ、まずコンヴァトには受からない。っていうか、なんでこんな悪条件の中で?)
サロメにはいくつか疑問点が浮かぶ。こんな中で本来の実力が出せるのか、ということ。普段練習している状況とはかけ離れすぎている。ピアニストだけでなく、ピアノにも良くはない。だが、プロになれば様々な場所で、どんな条件でも成功させなくてはいけない。その練習、といえなくもない。
「大丈夫? 震えてるけど。寒いよね」
さらにルノーが、怯えるブリジットに言葉をかける。なんだか自分が悪いことしている、みたいな罪悪感がなぜか出てきた。
だが、当の本人は心ここに在らずで、
「……え、あ、なんでした……っけ?」
と、会話が右から左へ流れていくだけ。すでに本番の悪いイメージが出来上がりつつある。
(話が通じないじゃない。終わったわ)
まぁ、知ったことじゃないけど。と、サロメは欠伸をする。ピアノを調律するまでが仕事。それ以降は本人の責任。調律師の仕事じゃない。
しかし、ルノーは頷いて笑みを作った。
「緊張しなくなるコツって知ってる?」
「あるんですか!?」
二歩ほどルノーにブリジットが詰め寄る。緊張。本番に弱い。ミスタッチ。様々な悪夢が脳裏によぎる。それを解決する方法。なによりも知りたい。が。
「それは……ないっちゃぁ、ないね」
顔をしかめながら、ルノーは首を横に振った。ないものはない。
言い寄った際の笑顔でブリジットは固まる。
「あ……ないんですね……あるっちゃあるみたいな言い方でしたけど……」
一瞬高まった高揚の気持ちが、潮のように引いていくのをブリジットは感じながら、ヒクヒクと口角が笑う。やっぱり、自分はダメな人間なんだ、と弱気がチラつく。
だが、思わせぶりな言動で周囲を惑わせつつも、年の功でルノーは身についたことがある。それを伝授する。
「緊張しない方法なんてないけど、緊張が力になるやり方ならある」
キミ次第だけど、とついでに付け足した。
飛びつこうとしたが、先の思わせぶりな態度を思い出し、ブリジットは控えめに願望する。
「それ、教えて……ください……」
俯いて、ダメだったときの準備をする。高揚の気持ちは持たずに、しんみりと受け止められるように。
「それはね」
と、勢いよく自身の胸を叩き、ルノーは強い眼差しを向けた。
「簡単なことだよ。『もっと緊張しろ!』と自分に言い聞かせること」
自信を持って言い切る。それ以外は知らない、これでダメなら諦めてくれ、と限界も伝える。
(なんじゃそりゃ)
イスの背もたれに寄りかかり、サロメは力なく天井を見上げた。なに言ってんだこのオッサン、という感想付きで。
だが、藁にも縋りたい思いのブリジットは、胸に手を当ててみる。
「……もっと、ですか?」
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